JFLから2年半でJ1へ!サガン鳥栖・西矢健人がたどり着いた「描けるわけもなかった」ステージ
プロビンチャの息吹~サガンリポート~ 第6回
サガン鳥栖に叩き上げの実力者が加わった。西矢健人。24歳。2022年に明治大学から当時JFLだったFC大阪へアマチュア契約で入団したボランチは、チームのJ3昇格に貢献すると、翌シーズンの夏にはJ2の藤枝MYFCへとステップアップ。そこでも着実に成長を遂げ、とうとう国内最高峰のステージにまで駆け上がってきた。加入後の初戦となった鹿島アントラーズ戦ではいきなりスタメン起用されたニューカマーは、J1残留の切り札になれるのか。杉山文宣が本人の言葉を交えて、いまの西矢に迫る。
アマチュア契約からスタートした大学卒業後のキャリア
2024年8月7日、「描けるわけもなかった」舞台に西矢健人は立った。明治大学を卒業し、当時JFLだったFC大阪に加入。「サッカー選手としての給料はゼロでした」と西矢自身が笑いながら振り返ったようにプロサッカー選手としてのスタートではなく、当時の契約は仕事をこなしながら選手としてプレーするアマチュア契約だった。しかし、そこからわずか2年半という時間で西矢は日本最高峰の舞台まで駆け上がってきた。
大阪桐蔭高校ではキャプテンとして選手権も出場。高校卒業後は明治大学に進学したが、トップチームに絡むことができずにセカンドチームでプレーする日々が続いた。主戦場とするボランチのポジションには稲見哲行(東京ヴェルディ)や木村卓斗(ヴァンフォーレ甲府)など卒業後、プロに進む人材が揃っていたことを考えれば、その競争レベルの高さは想像に難くない。さらに大学3年生からの2年間は世の中がコロナ禍に見舞われたこともあり、無観客試合などJクラブへのアピールという面でも困難を強いられた。
プロサッカー選手という職業への憧れを抱いてはいたものの、目の前にある現実ともしっかりと向き合っていたこともあり、就職活動も行い、企業からの内定も勝ち取っていた。「就職するという考えももちろんありましたけど、やっぱりサッカーを仕事にしたかった。サッカーの世界で勝負したいという思いがありました」。最終的には夢を捨て切れなかった。
それでも、FC大阪で主力としてプレーすると1年目からチームのJ3昇格に貢献。翌年も開幕から全試合フル出場を続けるとそのプレーぶりが藤枝の須藤大輔監督の目に留まり、オファーを勝ち取った。J3に昇格したFC大阪でもアマチュア契約のままだった西矢にとっては藤枝への移籍が“プロサッカー選手”としてのスタートになった。
J3から半年でJ2へ。J2から1年でJ1へ。上がり続けるカテゴリー
FC大阪は守備ベースのチームだったが、藤枝は“超攻撃的エンターテインメントサッカー”を掲げるように攻撃的なスタイル。もともと、攻撃面において特長を出すタイプだった西矢にとってはその水が合った。……
Profile
杉山 文宣
福岡県生まれ。大学卒業後、フリーランスとしての活動を開始。2008年からサッカー専門新聞『EL GOLAZO』でジェフ千葉、ジュビロ磐田、栃木SC、横浜FC、アビスパ福岡の担当を歴任し、現在はサガン鳥栖とV・ファーレン長崎を担当。Jリーグを中心に取材活動を行っている。