「このままでは半年もたない。張りぼてだよ」。2010年、東京VHDの杜撰な再建計画の末路
泥まみれの栄光~東京ヴェルディ、絶望の淵からJ1に返り咲いた16年の軌跡~#4
2023年、東京ヴェルディが16年ぶりにJ1に返り咲いた。かつて栄華を誇った東京ヴェルディは、2000年代に入ると低迷。J2降格後の2009年に親会社の日本テレビが撤退すると経営危機に陥った。その後、クラブが右往左往する歴史は、地域密着を理念に掲げるJリーグの裏面史とも言える。東京ヴェルディはなぜこれほどまでに低迷したのか。そして、いかに復活を遂げたのか。その歴史を見つめてきたライター海江田哲朗が現場の内実を書き綴る。
第4回は、2009年に誕生した東京VHDの資金繰りが早々に悪化し、翌年、Jリーグが経営に直接介入することになる一連の出来事について振り返る。
こんなはずではなかったんだけどなあ。私は流れる景色をぼんやり見ながら中央線に揺られていた。
2005年の秋、江戸川区の葛西から立川市に住まいを移した。東京ヴェルディのホームタウンとして、草の根の運動が盛んで気運の高まりが感じられることが動機だった。通りに緑のフラッグがはためく街で暮らしてみたかった。多摩地域のターミナル駅として交通アクセスに優れ、練習場近くの稲田堤まで南武線でストレートという便利さもあった。
ところが、その年にいきなりクラブ史上初のJ2降格。盛り上げようとする空気はだんだんと萎んでいき、街路灯にかかる東京Vの旗はやがて色褪せ、風雨にさらされボロボロになっていく。2年がかりでJ1復帰を果たすも、1シーズンで再び転落した。そして、クラブの存続自体が危ぶまれる事態へと発展した。
Jリーグがオフィスを構えるJFAハウス(現在は千代田区丸の内に移転)、最寄り駅の御茶ノ水まで中央線に乗って約50分。特快なら40分を切る。立川から一本でいける利便性は計算に入れていなかった。取材でたまに訪れることはあったが、足しげく通うことになるとは思ってもみなかったのだ。
東京VHDは早々に資金繰りが悪化
2010年1月29日、Jリーグの臨時理事会が開かれた。審議の対象は「東京ヴェルディについて」。議論は約6時間に及び、18時30分から予定されていた記者会見は22時30分にようやく始まった。
鬼武健二チェアマンは集まった記者を前に説明した。
当初の事業計画では東京Vの収入は9億5500万円、支出は9億5000万円、よって500万円の経常利益が出るとしていた。しかし、Jリーグの内部調査により、支出が約11億円になると判明したこと。予算管理団体として、500万円を超える支出は報告義務があるにもかかわらず怠ったこと。今後、財務面をチェックする人材を複数派遣すること。支出が増えた主たる原因は人件費の増大だった。トップチームの選手人件費は約1億3000万円(レンタル移籍中の選手の負担分は除く)とだいぶ抑えたが、育成組織を含めた全体のチームスタッフ人件費ではおよそ1億2000万円超過した。
翌月、2月16日のJリーグ理事会でも、東京Vの件が俎上に載せられる。記者会見の場で鬼武チェアマンは言った。
「東京Vが予算管理団体としての責務を順守し、経営の健全化に向けて不断の努力を行なうこと。それに関する合意文書を取り交わしました。もし約束が破られた場合はきちんとした制裁を加えていくことになります。文書の詳細についてはここで申し上げられません」
制裁を加えると明言しながら、内容に経営権を持つ東京Vホールディングス株式会社(以下、東京VHD)の崔暢亮会長、渡貫大志代表取締役社長らフロントの退陣が含まれるかについては口を濁した。
東京Vが直面する最大の問題は、スポンサー料収入の計画に大幅な狂いが生じていることだった。契約に至っているのは総額3億円に満たず、予定された5億4000万円に遠く及ばない。資金繰りが悪化し、Jリーグからの融資を受けるようなことになれば、経営陣が責任を取って退くのはすでに合意済みだ。そうなった場合は新体制を承認したJリーグの責任問題につながる。
遡ること3ヵ月前――。
「このままでは半年もたない。張りぼてだよ」
ある東京Vの関係者は言った。私は耳を疑い、横目で表情をのぞき見る。冗談を言っているふうではなかった。……
Profile
海江田 哲朗
1972年、福岡県生まれ。大学卒業後、フリーライターとして活動し、東京ヴェルディを中心に日本サッカーを追っている。著書に、東京Vの育成組織を描いたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)。2016年初春、東京V周辺のウェブマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を開設した。