SC相模原はなぜ「上手くなりたい人の味方」戸田和幸監督を電撃解任したのか?
相模原の流儀#5
2023シーズンにクラブ創設者の望月重良氏から株式会社ディー・エヌ・エーが運営を引き継ぎ、元日本代表MFで人気解説者の戸田和幸を指揮官に迎えたSC相模原。ピッチ内外で体制を一新しながらJ2復帰を目指す中、“緑の軍団”が貫く流儀に2021年から番記者を務める舞野隼大氏が迫っていく。
第5回ではアウェイ3連敗を喫していたとはいえ、まさに青天の霹靂。突如発表された戸田監督解任の理由を現場の視点から探る。
6月18日付でSC相模原は戸田和幸監督を解任。昨季から3年契約を結んだ新指揮官とスタートした長期計画は約1年半で打ち切りとなってしまった。
昨年2月、株式会社ディー・エヌ・エーはクラブの株式を93.2%保有し、相模原を連結子会社化とした。創業者であり代表取締役会長を務めていた望月重良氏から引き継ぐ形で、DeNAスポーツ事業本部戦略部長兼スポーツクラブ相模原取締役CO兼スポーツダイレクターの西谷義久氏が代表取締役社長に就任。その西谷氏の熱烈なオファーを受け、地元・相模原市出身の元日本代表MFで解説者としても名を馳せていた戸田監督が指揮を執ることに決まった。
その初年度は選手編成も大きく変わった。元日本代表の藤本淳吾、水本裕貴らを含む24名が退団。9人の大卒ルーキーに地域リーガーも含めたフレッシュな21選手を引き入れ、当時はGKの竹重安希彦を除けば最年長は26歳という大刷新とともに、戸田監督との旅が始まった。
新体制ではJ3第2節の福島ユナイテッドFC戦でさっそく2-1の初勝利を挙げたが、以降はリーグ戦15試合勝ちなしという長い産みの苦しみを味わった。もちろん勝負ごとではあるため、結果を度外視することはできないが、その中でも戸田監督は「状態のいい選手を常に試合に選ぶ」と日々のトレーニングでのパフォーマンスを選手には求め、個々人が成長していくよう促した。
詳細は過去記事「戸田和幸監督はなぜSNSから離れたのか?SC相模原で貫く切磋琢磨の原点に迫る」でも記しているため割愛するが、勝てなかった時期も指揮官から選手は「志を高く、勇敢に、大胆に」という言葉を授かり、一人ひとりがフィードバックとアドバイスを受けて課題に向き合いながらできることを1つ、また1つと増やしていった。
そして、夏の移籍期間が始まる直前の第18節・奈良クラブ戦で2点ビハインドから3-2への逆転勝利を収めて大きな成功体験をつかんだ。この2勝目以降、新たに加わった瀬沼優司、岩上祐三という手本となるベテランからも若手集団は多くを学び、後半戦の勝ち点の推移も大きく変わっていった。
実力者加入も崩せなかった“前提”=競争意識
クラブは多くの選手と複数年契約を結んでいたため、今オフの入れ替わりは少なかったが、昨年11月にスポーツダイレクターに就任した平野孝氏が中心となって手がけた補強により、昨季とはまた違う顔ぶれになった。
そこで獲得されたブラジル人3選手のうちDFパブロ・ヒアンはまだ22歳の若手育成枠だが、FWのブルーノ・サントスはブラジル3部リーグで5ゴールを挙げたようにポテンシャルは確か。そしてMFのファブリシオ・バイアーノはブラジルやトルコの1部リーグでもプレー経験がある実力者だ。
しかし戸田監督は実績を重視することなく、一貫して練習でいい状態にある選手をピックアップしていく。特別扱いをしてしまえば“昨季から築いた前提”である競争意識が崩れ、チーム全体から信頼を失ってしまいかねないからだ。……
Profile
舞野 隼大
1995年12月15日生まれ。愛知県名古屋市出身。大学卒業後に地元の名古屋でフリーライターとして活動。名古屋グランパスや名古屋オーシャンズを中心に取材活動をする。2021年からは神奈川県へ移り住み、サッカー専門誌『エル・ゴラッソ』で湘南ベルマーレやSC相模原を担当している。(株)ウニベルサーレ所属。