モドリッチがディナモと交わした約束の今。「意味はあるかもしれない」古巣復帰の可能性を読む
炎ゆるノゴメット#4
ディナモ・ザグレブが燃やす情熱の炎に火をつけられ、銀行を退職して2001年からクロアチアに移住。10年間のザグレブ生活で追った“ノゴメット”(クロアチア語で「サッカー」)の今に長束恭行氏が迫る。
第4回では、レアル・マドリーとの現行契約が今季限りで終了するルカ・モドリッチの去就について。相思相愛の古巣ディナモへの復帰は果たして実現するのか?
筆者も立ち会った「間違いなく戻ってくる」ディナモとの別れ
2008年5月10日、クロアチアリーグ最終節「ディナモ・ザグレブ対リエカ」。リーグ3連覇を達成したチームを祝うべく、マクシミール・シュタディオンには2万人が押し寄せた。ディナモのゴールが決まるたびにスタンドは沸き立ったが、青いユニフォームを身にまとうルカ・モドリッチの見納めだけに感傷的な雰囲気がスタジアムを支配していたことを、現場に居合わせた私は記憶している。バックスタンドには「ルカ、ありがとう」(LUKA, FALA TI)という手書きの横断幕が掲げられた。普段は特定選手へのチャントをよしとしないゴール裏のサポーターグループ「バッド・ブルー・ボーイズ」も、この日だけは「ルーカ・モドリッチ!」と何度も叫んだ。
チャンスを次々と演出し、6-1までスコアが開いた80分に交代を告げられたモドリッチに対し、スタンドからはスタンディングオベーションが湧き上がった。彼は左腕に巻いたキャプテンマークを先輩のミハエル・ミキッチに託すと、マリオ・マンジュキッチらの手によってその軽い体が抱え上げられた。それからは試合が継続されているのにもかかわらず、ウイニングランをするかのように各スタンドのサポーターに挨拶をしていく。逆サイドのゴール裏でカメラを抱えていた私の横を通り過ぎる際、新天地トッテナム・ホットスパーでの成功を祈るべく「幸あれ」と一言添えて右手を差し出した。モドリッチも握手で返してくれたが、いつもとは異なる彼の物憂げな表情が今でも脳裏から離れない。
試合後にリーグ優勝のセレモニーが執り行われたのち、メダルを首にぶら下げた選手たちはゴール裏の2階席へと登った。モドリッチは特別にサポーターの中央に入り込むとチャントのリード役を任され、バッド・ブルー・ボーイズと一緒にこう叫んだ。
「お前だけだ、ディナモ、チャンピオン! 俺はお前のために人生を差し出すつもりだ!」
(Samo ti Dinamo šampione! Život dat ću za tebe!)
試合直後の会見で22歳のモドリッチは「さよならゲーム」をこのように振り返った。
「今日の経験は忘れ難いものだ。本当に感謝している。泣いてしまわぬよう、僕は涙をこらえるしかなかったよ。この日の出来事は人生の最期まで覚えているだろう。今冬に移籍が実現しなかったことを当初は残念に思っていたけど、振り返ってみれば半年間待った甲斐があった。もし移籍していたらこの瞬間を味わえなかったかもしれないからね。今はディナモを去ることが残念だ。大好きなクラブだけに。あまり先の将来を考えるつもりはないけど、間違いなく僕はディナモに戻ってくる。自分の心を欺くことはできない」
2020年発刊の『ルカ・モドリッチ自伝/マイゲーム』においても、ディナモへの思いを最愛の人物に吐露していたことが言及されている。
「マクシミール・シュタディオンでのサポーターとのお別れに深い感動を覚え、チームメイトや関係者にも感謝した。みんなで勝ち取ったタイトルを祝うはずなのに、最大の注目を僕に譲ってくれたんだ。その行為がディナモ退団を一層つらいものにさせた。感情が激しく揺れ動く中、妻のバーニャにこう告げた。『知っているかい? いつの日か絶対にディナモに戻ってこようと思っているんだ』」
マドリー加入時から思いは不変。「サッカーを楽しみたい」が…
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。