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「オランダらしくない」新興クラブ、アルメレ・シティ。創設22年目、1部初挑戦で大健闘の理由

2024.04.13

VIER-DRIE-DRIE~現場で感じるオランダサッカー~#3

エールディビジの3強から中小クラブに下部リーグ、育成年代、さらには“オランイェ”まで。どんな試合でも楽しむ現地ファンの姿に感銘を受け、25年以上にわたって精力的に取材を続ける現場から中田徹氏がオランダサッカーの旬をお届けする。

第3回では創設22年目を迎えた新興クラブ、アルメレ・シティが初挑戦の1部で大健闘している理由を探る。

 アルメレ・シティの本拠ヤンマー・スタディオンは2021年に拡張工事を行ったばかり。それでも収容人員は4501人に過ぎない。ベテラン選手、外国からの助っ人たちもトップリーグの経験が乏しい。

 「シーズンが開幕するけれど、こいつら、本当に1部で大丈夫か?」――それがエールディビジに昇格したばかりのアルメレ・シティに対する、オランダ人の偽らざる思いだったはず。実際、アルメレ・シティは6節まで1分5敗、得点4、失点18。彼らの1部デビューは散々なものだった。

 そんな『降格候補筆頭』が29節を終えた時点で12位と大健闘し、来季もエールディビジで戦うことになる。目を引くのはクリーンシートが10試合もあること。3点差以上の大敗が6試合もあるのに、接戦に持ち込んだ試合では脅威の集中力を発揮して相手を完封してしまう。

 その肝はオランダらしくないアルメレ・シティのチーム戦略。相手によって[4-3-3][5-3-2][5-3-1]を使い分け、ポゼッションする時間帯を減らしてロングパス→セカンドボールの奪い合い→ショートカウンター→ハイプレス……を繰り返す。エクセルシオール、スパルタ、そしてアルメレ・シティを2部から1部に引き上げた『昇格請負人』アレックス・パストール監督(57歳)のリアリズムが光る。

アルメレ・シティのコーチ陣。右端がアレックス・パストール

1部昇格が生んだ「若い人の町」「多様性の町」のアイデンティティ

 アルメレには日系企業の事務所がある。2005年に開場したヤンマー・スタディオンはかつて三菱フォークリフト・スタディオンという名だった。整備された工業地帯を持つアルメレは、アムステルダムから東に30kmという地の利もあって日系企業が多く、他にもスタジアムに看板を出している会社がある。

 22万人を超す人口はオランダ国内で8番目。しかしこの地に初めて人が住み始めたのは1976年から。狭く家賃の高いアムステルダムの住宅事情を嫌った若い家族が、アルメレに新居を持った。やがてアルメレは家賃の安さもあって移民が集まるようになる。こうしてアルメレは「若い人の町」「多様性の町」になった。
 
 90年代半ば、アルメレの人口が10万人を超すと、自治体主導でスポーツ事業を興すことにした。ハイレベルなスポーツクラブを応援することによって、歴史が浅くアイデンティティに乏しいアルメレの人々を1つにしようとしたのだ。それがオムニワールド。2001年にサッカークラブ、バスケットボールクラブ、バレーボールクラブが発足し、サッカー部門はFCオムニワールドとして活動することになった。彼らは05年にプロライセンスを取得し、05-06シーズンからオランダ2部リーグに参入した。

 クラブ創設から22年。その間、オムニワールドのプロジェクトは失敗に終わり、10-11シーズンからサッカー部門はアルメレ・シティとして再出発した。17-18シーズンは昇降格プレーオフ決勝まで残ったものの、デ・フラーフスハップに1分1敗と敗れてしまった。その後、1部昇格に本腰を入れてチームを強化したが、3年半でのべ7人も監督が代わるなど迷走し、20-21シーズンには2部リーグで最下位に落ちた時期もあった。やがてアルメレ・シティは「監督の墓場」として知られるようになった――。……

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Profile

中田 徹

メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。

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