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挫折で培った言語化能力。川崎F・山本悠樹の原点は「分析係」にある【ロングインタビュー】

2024.04.02

フロンターレ最前線#2

「どんな形でもタイトルを獲ることで、その時の空気感を選手に味わってほしい。次の世代にも伝えていってほしいと思っています」――過渡期を迎えながらも鬼木達監督の下で粘り強く戦い、再び優勝争いの常連を目指す川崎フロンターレ。その“最前線”に立つ青と黒の戦士たちの物語を、2009年から取材する番記者のいしかわごう氏が紡いでいく。

第2回では新戦力の山本悠樹に直撃。ガンバ大阪からの加入早々、中盤の一角を任されている司令塔が取材現場で披露する言語化能力の高さの原点をたどる。

 サッカーの現場を長く取材していると、試合直後でもゲーム全体の構造や自分のプレーを的確に振り返りながら解説してくれる選手が、稀に存在する。

 ピッチではその瞬間、瞬間で感覚的に判断を下してプレーしているはずで、実際に考えている時間はほとんどないにも関わらず、試合中の出来事の因果関係を論理的に説明してくれるのである。取材者から重宝されるタイプで、かつての川崎フロンターレであれば、中村憲剛がまさにその典型だった。彼のコメントを聞こうと、試合後に人だかりができていたのも納得である。

 今シーズン、ガンバ大阪から加入した山本悠樹の言語化能力の高さは、ちょっとした驚きだった。彼はいかにして、その能力を身につけていったのか。ロングインタビューでその秘密に迫ってみた。

頭と心を整理するためのコミュニケーション

「話すことで結構冷静に振り返れる。喋りながら…」

——ミックスゾーンで話を聞くと、山本選手は試合直後でも解像度の高い言葉でゲームを振り返ってくれますよね。あの言語化能力に感心しています。

 「ガンバ大阪の時も言われることがありましたよ。逆に、『みんなはどうやって喋っているんだろう』って思ってます(笑)」

——試合直後は勝った負けたもあって興奮しているし、感覚的な言葉が多くなりがちじゃないですか。でも山本選手は頭の中が整理されている。「あの局面は?」と聞かれるとすぐに映像が浮かぶ感じなんですか?

 「ぼんやりとですけど、話すことで結構冷静に振り返れるんですよね。喋りながら、『あれ?この時は違ったな』と思ったり、『こうした方が良かったな』と思いながら話している時もあります(笑)。そうやって話す場もあるんで、こうしたら理論上はいけたなとか結構ありますね」

——話すこと自体が、頭を整理する1つにもなっていると。サッカーの話をするのは好きなんですか?

 「嫌いでは全然ないですよ」

——例えば今日(3月21日)の全体練習後、ピッチに座って二階堂悠コーチと瀬古樹選手と3人で結構長く喋ってたじゃないですか。リラックスしながらだと思うんですけど、ああいう時間もサッカーの話をしてたんですか?

 「そうですね。ガンバでもそうでしたけど、フロンターレでもスタッフと喋るのは大事だと思っています。今日はたまたまドゥさん(二階堂コーチ)とやったんですけど。例えばこないだ(3月17日/J1第4節)の鹿島(アントラーズ)戦は上手くいかなかったけど、『選手はこう感じてて、スタッフの人はどんな感じだったんですか?』と、フランクに話す感じですかね」

J1第4節、鹿島戦のハイライト動画

——鹿島戦に関して言えば、スタッフの狙いとやっている選手に少しギャップがあった感じですか?

 「川崎はボールを繋ぎたい。それに対して鹿島の圧に完全にやられたというか。そこでみんなショックを受けてるかなという感じはありました。本来はこうやってボールを回したいし、ポジショニングはこうじゃないかみたいな話をしてましたね。あとは、メンタル的にはどんな感じだったのって」

——メンタル的というのは?

 「戦術ボード上では相手がこう来てるから、ここが空いてるから繋げるよっていう話と、ピッチでそこに立ったら、実際にはこれも気になるしこっちも気になるし……ってことがあるじゃないですか。そこら辺の心の話ですね」

——上から見てると「パスを繋げるでしょう」って思うけど、やってる方からすると相手の守備に圧を感じている難しさがあると。

 「レイオフで1個前に飛ばして、パスを落としてみたいなのは盤上ならできるけど、実際にあそこに入ってプレーしたら、僕も毎回、緊張しながらボールを落としてるんで(笑)。そういうものだと思うんですよ」

——そんなに簡単じゃない。

 「それでも、うちはやらないといけないよねっていうような話が多かったかなと思います」

「サッカーを教えてくれた」ポヤトス監督への感謝

「あとは自分には小・中学生時代の恩師がいて…」

——例えば自分が出た試合を見直す時は、どんなところをポイントに見直すんですか?

 「このシーンの時に自分はどう思っていたかなっていうところですね。ピッチ内で感じていた圧と上から見た時にこんなにフリーだったんだ、というのがあると思うんですよ。そこのズレをなくしたり、これだけ空いてるんだったら圧を感じててもボールを触ったり、ターンもしないといけないとかの確認ですね。例えば1つ前にパスをしたシーンでも、他がちゃんと見えていたかどうか、その最善策を選べていたのかっていうのは気にして見直してます」

——「見えていたかどうか」というのは、選択肢が2個、3個あったんじゃないかっていう意味の見えてたっていうことですか?

 「そうですね。自分は選択肢を2個見つけてたけど、もう1個別にあったんじゃないかとか、後から試合を見てもやっぱりこっちは厳しいから、この2個だったらこっちで正解とは言わないけどOKだったかな、みたいな見方ですね。試合中、自分はプレスを感じてるなと思って割り切ったプレーをしても、実は相手が奪いに来てるようで来てなかったっていうのがあるじゃないですか。そういうズレをなくしたいなと思って見直してます。あとは攻撃で言うと立ち位置のところですね」

——立ち位置に関して言えば、ガンバ大阪時代にダニエル・ポヤトス監督からも細かく言われたと思うんですけど、そこは学生時代からこだわってきた部分ですか?

 「ダニはサッカーを教えてくれたなって感じがしますし、この歳でもいろいろたくさん学べることがあって本当に感謝してます。あとは自分には小・中学生時代の恩師がいて。小さい頃からある程度の技術はあるけど、相手に当たられたら負けるみたいな話になったんで、当たられる前に何とかしろってずっと言われてたんですよ。そこで立ち位置はかなり意識してきました」

――昔からなんですね。

 「相手に当たられる前に次の場所を探しておくとか、それこそ当たられない場所に立つとか、そういう工夫はずっとしてましたね。そうじゃないと戦えてこなかったので」

――常に頭を働かせてきたと。

 「ものすごく考えてきたと思いますよ。ただサッカーをやるだけでは周りには勝てなかった。いいところに立つだけでも勝てなくて、いいタイミングでそこに入らないといけなかったので、その前の段階で準備しないといけない。そういうことを育成の時から徐々に気づいてきて、自分が生き残っていくためにこういうことをしないといけなかったので。あとなんか僕、性格的にも気を遣うんですよね」

——周りに気を遣うってことですか?

 「そう。多分、今ここにいてほしいんだろうなって、他の人より何となくわかる気がしてて。今、ここに自分が立ったら、ボールホルダーは自分とそれ以外も繋がれるんだろうなって思うんですよ。そういうタイミングで落ちてきたりとか、そこに入ったりとか、僕がそこに1人入るだけで、誰かが釣られてこっちが開くんじゃないかなとか。それはもう経験値の話ですけど、いろいろ試合の中で試行錯誤して積み上げてきたものがあると思います」

――ボールに触ってないけど、自分が入ることで上手くボールが回り始めたら、なんか仕事してるなあって少年ながら思うわけですよね。やや渋いところですけど(笑)。

 「それは思ってました。でもあんまり気づかれないんで、『うーん』って感じですけど、気づいてくれる人のことは大好きです(笑)」

「勇気をもらえた」OB、中村憲剛の存在

「小さい時から見てた選手。ずっとその線が細い側で…」

——川崎に来てから、プレーする時に見る場所の優先順位や判断に影響ってありました?

 「最初の頃は本当に頭がしんどかったです。練習しててなんか頭痛いなって感じしたね」

——それは「頭が疲れる」ってことですか?

 「疲れますね。見る回数と決める判断の回数が多すぎて、もう頭が本当にしんどかったです。体がしんどいというより、頭がしんどい」

――これまでのチームとは頭の使い方が少し違った感じですか?

 「川崎ってグリッドとかボール回しやゲームも全部狭くて速いんですよ。全部がちょっとずつ狭い。だから相手が来るのも速い。よりちゃんと見て、早く判断をしないといけない回数が多くて大変でした」

——ずっと練習を見てるので、あれが普通だと思っている自分がいます(笑)。

 「いや、あのサイズで10対10をしないですよ(笑)。ポゼッションも狭過ぎますけど、鍛えられますね」

Photo: ©KAWASAKI FRONTALE

——例えば、ガンバ時代のダニエル・ポヤトス監督は立ち位置などはかなり細かったんですよね。山本選手はそこを含めた戦術的な理解度も早かったと聞いてます。

 「僕は1回、聞いてみようっていうのが基本なので」

——それはご自身のマインドとして?

 「はい。受けつけないとかではなくて、1回聞こうって思ってやってみたら、やっぱり全然違う景色が見えたんですよね。ダニは『ボールから離れろ。ボールに寄るな』って言うんですけど、『寄らんとサポートおらんがな』って思ってました(笑)。でも、寄らなかったら寄らなかったで、『俺、ドフリーだよ。今、ボールが来たらなんでもできるな』とかそういうのも結構あったんで、やっぱり聞くのは大事だなって思いましたね」

——立ち位置で思い出したんですが、今年の最初はインサイドハーフで出ていたじゃないですか。等々力でやったACL(ラウンド16第2レグ)の山東(泰山)戦がありましたね。

 「はい」

——あの試合の翌日、中村憲剛さんと話す機会があったんですけど、彼はその試合をスタンドで見ていて、山本悠樹の立ち位置が「ことごとく正解だった」と絶賛していました。しかも相手に当てられない場所でボールを受けていると。

 「本当ですか」

――タイプ的にも中村憲剛さんに少し似てますよね。

 「僕が小さい時からめっちゃ見てた選手です。憲剛さんは線が細いじゃないですか。僕もずっとその線が細い側の人間でずっとサッカーしてきて、困ることが多いんですよ」

——そこで悔しい思いもたくさんしてきたと。

 「身長とか身体能力でダメといっぱい言われてきたんで、そういう選手が代表の第一線で活躍していて勇気をもらえましたし、そういう意味でもよく見てましたね。憲剛さんとかヤットさん(遠藤保仁)とか、僕の世代だとそういう選手たちです」

山本が「小さい時からめっちゃ見てた」という川崎一筋の中村憲剛。引退後はフロンターレリレーションズオーガナイザーに就き、アカデミーと普及・育成部門を中心に古巣の様々な活動に携わっている(Photo: Getty Images)

分析係で確立したトライ&エラーのサイクル

「ミーティングのプレゼンも自分がやっていたんです(笑)」

——言葉としてアウトプットする作業に関しては、例えばサッカーノートをつけてたとか、昔からの習慣は何かありましたか?

 「サッカーノートは高校の途中くらいまではつけてましたけど、あまり続かなくて(笑)。それなら誰かに伝えた方がいいかなと思って、話す方に切り替えたんですよ」

――大学時代ぐらいから書く方から話す方に重点を置いたと。話す習慣は何かきっかけがあったんですか?

 「僕のいた関西学院大学って結構特殊だったんですよ。相手の分析は監督がやっていたんですけど、スカウティングの映像は学生が撮りに行くんです」

——それはサッカー部のチームメイトが持ち回りでやる感じですか?

 「そうです。大学だったら4学年あるので、1年生からどこかの係に属さないといけないんです。例えばフィジカルを上げる係、イベントを企画する係とかあって、自分は分析係にいました」

——分析係は1年生からずっとやっていたんですか?

 「最初はビデオを撮ってただけで、編集は先輩に任せてたんですけど、Aチームで4年生になった時にビデオを撮ってるだけではつまらなくなったんです。そうしたら監督も『もういいよ。喋って』となって、毎回撮ってきた相手のビデオを自分が編集して、4年になったタイミングからはミーティングのプレゼンも自分がやっていたんです(笑)」

——えっ?映像を撮るだけではなくて、対戦相手の分析もしていたということですか?……

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Profile

いしかわごう

北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。Twitterアカウント:@ishikawago

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