REGULAR

新生フィオレンティーナを支えてきた敏腕GDバローネが逝去。クラブ愛とビジネス感覚を両立した経営者の功績

2024.03.22

CALCIOおもてうら#8

イタリア在住30年、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えるジャーナリスト・片野道郎が、ホットなニュースを題材に複雑怪奇なカルチョの背景を読み解く。

今回は、遠征先のベルガモで心臓発作を起こし、3月19日にこの世を去ったフィオレンティーナのゼネラルディレクター(GD)、ジュゼッペ・“ジョー”・バローネの功績を振り返りたい。

 3月17日、フィオレンティーナのゼネラルディレクター(GD)で、実質的な経営責任者だったジュゼッペ・“ジョー”・バローネが、チーム遠征先ベルガモのホテルで心臓発作を起こして倒れ、2日後の19日、57歳という若さで不帰の客となった。

 翌20日には、フィレンツェ郊外に昨秋オープンしたクラブの本拠地「ビオラパーク」に遺体安置所が設置され、サッカー関係者からサポーターまでたくさんの人々が最後の別れのために訪れている。

 フィオレンティーナは、今から6年前の2018年3月にも、当時の主将ダビデ・アストーリがやはり遠征先のホテルで試合当日朝に急死するという悲劇を経験している。またも同じような不幸に見舞われるとは何と痛ましい巡り合わせだろうか……。

まるで「ベルルスコーニとガッリアーニ」のような関係

 まったく予期せぬ形で突然GDを失ったことで、フィオレンティーナは大きな困難に直面することになりそうだ。というのもバローネは、2019年にイタリア系アメリカ人実業家ロッコ・コンミッソがクラブを買収して以来、その片腕、いやそれ以上の存在としてフィオレンティーナの経営実務を一手に引き受けてきた最高責任者であり、しかもその仕事のやり方はきわめて中央集権的なものだったからだ。

 コンミッソ会長は、1995年に自らが創業し、現在はアメリカでも有数のケーブルTVチャンネルとなった「メディアコム」(フィオレンティーナの胸スポンサーでもある)の経営に携わるため、イタリアに常駐できる状況にはない。その代わりとなる経営責任者として、クラブ買収時に送り込まれたのがバローネだった。

 カラブリア州の小さな村に生まれ、12歳で家族とともにアメリカに移民したコンミッソ同様、バローネも8歳の時にシチリア州から一家で海を渡り、ニューヨークで育った。南イタリア出身の移民二世という出自に加え、MBAを取得してファイナンス分野で築いたキャリア、さらには母国イタリア、そしてサッカーへの情熱までも共有していたことから、2人は「メディアコム」の創業オーナーと幹部社員という関係を超えて、個人的な親交を深めてきた。……

残り:3,488文字/全文:4,701文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。

RANKING