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露中の協調に一役買うスルツキの上海行き。2023年はロシアの「ブレイク芸人」だった

2024.03.23

フットボール・ヤルマルカ 〜愛すべき辺境者たちの宴〜 #2

ヨーロッパから見てもアジアから見ても「辺境」である旧ソ連の国々。ロシア・東欧の事情に精通する篠崎直也が、氷河から砂漠までかの地のサッカーを縦横無尽に追いかけ、知られざる各国の政治や文化的な背景とともに紹介する。

footballista誌から続くWEB月刊連載の第2回(通算82回)は、CSKAモスクワ時代のCL8強進出から14年、現在は中国にいる52歳のロシア人監督について。昨年はピッチを離れ、タレントとして母国のエンタメ界で売れっ子だったという。

 3月1日に新シーズンが開幕した中国スーパーリーグ。今季はあるロシア人指揮官の存在によってロシアメディアの間でも注目度が高まっている。その人物とは本田圭佑がCSKAモスクワでプレーしていた時の監督として日本のサッカーファンの記憶に残っているであろうレオニド・スルツキ。昨年12月27日に上海申花はスルツキの監督就任を発表し、5日後の1月1日から正式にクラブへ迎え入れた。

 これまで中国のトップリーグで指揮を執ったロシア人監督は2人。パイオニアとなったのは1990年のイタリアW杯でカメルーン代表をベスト8に導いてその名を知られることになったバレリー・ニェポムニャシイ(日本ではニポムニシと書かれることが多いがロシア語を元にした表記はこうなる)。2000年に瀋陽海獅、2002~2003年に山東魯能泰山、2004~2005年に上海申花をそれぞれ率いた。その合間の2001年にはサンフレッチェ広島でJリーグも経験している。

 2人目は若年世代の指導に定評があり、UAEやイラク、サウジアラビアを渡り歩いてアジアのサッカーも熟知していたボリス・イグナティエフ。2001年に山東魯能泰山の監督を務めた。

 スルツキは3人目(2004年に名称変更した中国スーパーリーグにおいては2人目)のロシア人監督として中国の地に降り立ったことになる。CSKAモスクワやロシア代表を率いた後に彼はどのような人生を歩んでいたのだろうか。まずはその経歴を振り返ってみよう。

2010年10月、当時24歳の本田圭佑と(スルツキは39歳)。CSKAモスクワでは2009年10月から2016年12月まで指揮官を務め、2015年8月〜2016年6月はロシア代表監督を兼任した

今なお「ロシアサッカー史上最高の監督の1人」

 下馬評では「上位進出を狙える」と期待されていたEURO2016がグループステージ敗退に終わり、失意のままにロシア代表監督を辞任したスルツキは親交があったロマン・アブラモビッチの支援を受けてロンドンでの生活を始める。イングランドで指揮をするという目標を叶えるべく、まずは語学学校に通い英語を猛勉強。携帯電話を没収され、毎日8時間のレッスンを受けて文字通り英語漬けの日々を過ごした。その甲斐あってか2017年の夏にハル・シティ(2部)からのオファーが舞い込み、イングランドのクラブを指揮する初めてのロシア人監督となる。

 しかし、1年でのプレミア復帰を使命とした2017-18シーズンは開幕から低迷が続き、20位に沈んでいた12月にスルツキは解任。わずか半年の在任期間だった。それから3カ月後、今度はロシア人実業家アレクサンドル・チギリンスキがオーナーだったオランダのフィテッセが新天地に(当時チェルシーのアブラモビッチ会長が実質的に資金提供を行う姉妹クラブと噂されていた)。迎えた2018-19シーズン、チームは国内リーグを5位で終えたがEL出場権を争うプレーオフで敗れ、翌シーズンの11月に5連敗の責任を取って自ら辞任を申し出た。こうしてスルツキの欧州挑戦は2年ほどで終焉を迎える。

フィテッセ時代の2019年8月、スルツキのInstagramに投稿された後述のラップ動画

 母国に戻ったスルツキはすぐにルビン・カザンの監督に就任。初年度は降格の危機にあったチームを立て直して10位まで押し上げると、翌2020-21シーズンは4位でヨーロッパカンファレンスリーグの出場権を獲得し、自身の健在ぶりを見せつけた。ところが、3年目を迎えた2021-22シーズンはウィンターブレイク明け直前にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、外国人選手を多く抱えていたルビン・カザンは大量流出を止めることができず。リーグ戦再開後もその影響はあまりにも大きく、最終節の敗戦により逆転で2部降格が決定した。降格後も指揮官を継続したが、自軍の選手やスタッフ、または審判やメディアへの批判が目立つようになり、イライラが募る。2022年11月、エニセイ戦の試合中に審判への暴言で退場処分を受けると、ついに気持ちが切れてこの試合を最後にクラブを去ることになった。

 このように近年はCSKA時代のような安定した成績を残していないスルツキではあるが、ハル・シティでは「必要な補強を行わなかったフロントの責任」というファンの声も多く、フィテッセ時代はレアル・マドリーから武者修行に出されていたマルティン・ウーデゴール(現アーセナル)に復活のきっかけを与え、ルビン・カザンではクビチャ・クバラツヘリア(現ナポリ)を育てたとして、「ロシアサッカー史上最高の監督の1人」という評価は今も変わっていない。

2018年9月、フィテッセに1年レンタルで加入したウーデゴールと。当時19歳のMFは公式戦39試合で11ゴール13アシストを記録した

芸人、シンガー、ラッパー、MC、ユーモア担当主任…

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Profile

篠崎 直也

1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。

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