ディズニーが「キャスト」と呼ぶ意味――ブランディングの根幹にある「言語とコンセプト」の重要性
強いからかっこいいのか、かっこいいから強いのか
――サッカークラブ・ブランディング探求#02
鎌倉インターナショナルFCの監督とCBO(ブランディング責任者)を兼任し、2024シーズンからはテクニカル・ダイレクターおよびCBO を務める河内一馬は、2018年7月に“あるnote記事”がバズり、一躍サッカー界における「ブランディングの論客」という地位を確立した。競技側の人間でありながらブランディングを語る意味は、サッカー本大賞を受賞したデビュー作『競争闘争理論』の問題意識にも通じている。あれから5年が経ち、サッカークラブの現場でまさにそれを仕事にしている今、あらためて考えてみたい。強いからかっこいいのか、かっこいいから強いのか――その答えを探す旅。
第2回は、ブランディングの根幹にあたる人間の集団に秩序をもたらす「言語とコンセプト」について考察してみたい。
私は結局、なにをそんなに「ブランディング」という行為に興味関心をもっているのだろうかと、考えることがある。ご存知のように広告業界に精通しているわけでもなければ、クリエイティブを生業にしてきたわけでもないし、商業デザイナーでもない。前回も触れたように、私はサッカーを競技者として追求しているところ、気がついたら、ここに辿り着いていたのである。
1つ言えることは、「人が社会という集合体の中でいかにして秩序を保っていくのか」ということへの興味・関心が昔から強くあるということで、例えばその問いに対して私がアカデミックに取り組んでいたとしたら「社会学者」という肩書きで生きていたのかもしれないし(勉強嫌いだった自分にはありえなかった未来のように思うが)、あるいは、それへの興味を悶々と持ちながら、人を観察したり、社会を観察したり本を読んだりするものの、発散する機会を持たない人生を送っていた可能性も十分に考えられる。ところが私は、「サッカー監督」という役割を担うことによってしばらく、サッカーというフィルターを通して「人(選手)は社会(チーム)という集合体の中でいかにして秩序を保っていくのか」という問いへの興味を、見事に発散しまくっていたのである。
人間の集団に「秩序」を持たせる方法
私はよく「監督をやめたとは思っていない」や「肩書きは変わったけどやっていることは一緒」という意味不明な発言をするが、それは本心である。監督という仕事で行っていたこと(強くやりがいを感じていたこと)は、「人間たちに何らかの手段を使って秩序を持たせること」であるし、「ブランディング」という行為をディレクションすることも、「人間たちに何らかの手段を使って秩序を持たせること」であって、両者にはまったく違いが見えない。「サッカーチーム」をディレクションする者、「ブランド」をディレクションする者、そこには方法論から役割まで、共通する部分が数多あるのである。
ところで「秩序」とは何か。例えば私たちは、服を着る。裸で外を歩かないし、通常は理由なしに道端で人を殴ることはしない。これは、なぜだろう。あるいは、今あなたは間違いなく「お金」に価値があると思っている。紙切れに私たちがこれほど人生を左右されるのは、なぜなのか。ここに社会の何らかの秩序が見える。人間がこの世で秩序を保つために必要だった「絶対」は、まず「神」というカタチで現れ、それから「王(国家)」や「父」、そして現在は資本主義システムが生み出した「お金」という形で私たちを実質的に支配している。人間が社会というものを形成するために必要としてきたこれらの「絶対」は、他でもなく人間自ら生み出した物語であり、私たちは、この人間が生み出した物語によって社会の秩序を保っているのである。これは嬉しいことでも、悲しいことでもない。
では、これを「サッカー」というものに置き換えると、どういった話ができるだろうか。例えばピッチに目を向けると、11人、もっと言えば22人が「秩序」を持って動き回っていることは一目瞭然である。なぜか。スポーツというものが人為的かつ特異的につくられた「ルール」のもと成り立っていると考えると、そこまで難しい話ではないように思う。「これはサッカーだよ」といえば、人間は“大体”同じ動きをする。もう少しスコープを狭くしてみよう。私たちサッカー業界の人は「戦術」という言葉をよく使うが、これは言い換えると「秩序」である。ボールを遠くに蹴ることも近くに蹴ることもできる状況下で、右にも左にも自由に動ける22人が、競技ルールだけをもってして「秩序」を保つことは不可能と言っていい。そこで必要なのが「戦術」だとすると、それを規定するのは「監督」や「選手」である。どうやって? 例えば「言語」だ。ここに、面白さがある。……
Profile
河内 一馬
1992年生まれ、東京都出身。18歳で選手としてのキャリアを終えたのち指導者の道へ。国内でのコーチ経験を経て、23歳の時にアジアとヨーロッパ約15カ国を回りサッカーを視察。その後25歳でアルゼンチンに渡り、現地の監督養成学校に3年間在学、CONMEBOL PRO(南米サッカー連盟最高位)ライセンスを取得。帰国後は鎌倉インターナショナルFCの監督に就任し、同クラブではブランディング責任者も務めている。その他、執筆やNPO法人 love.fútbol Japanで理事を務めるなど、サッカーを軸に多岐にわたる活動を行っている。著書に『競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか』。鍼灸師国家資格保持。