オルモとグバルディオルの移籍劇も演出。「ディナモに1億ユーロをもたらした」代理人が目論むクロアチア3部発の育成戦略
炎ゆるノゴメット#3
ディナモ・ザグレブが燃やす情熱の炎に火をつけられ、銀行を退職して2001年からクロアチアに移住。10年間のザグレブ生活で追った“ノゴメット”(クロアチア語で「サッカー」)の今に長束恭行氏が迫る。
第3回では、ダニ・オルモとヨシュコ・グバルディオルの移籍劇を演出して「ディナモに1億ユーロをもたらした」敏腕代理人が目論む、クロアチア3部クラブ発の育成戦略に迫る。
チームメイトのドイツ行き交渉で扉が開いた「第二の人生」
生き馬の目を抜くサッカービジネスの世界で、とあるクロアチア人の代理人が市場を賑わせている。アンディ・バラ。16歳だったダニ・オルモをバルセロナからディナモ・ザグレブに移籍させ、クロアチアリーグ経由でスペイン代表に至るサクセスストーリーを導いて一躍知られた人物だ。契約下にはアルバロ・モラタやナチョ・フェルナンデスといったビッグネームも連ねているが、もっぱら彼が得意としているのはプレイヤーズファーストのキャリア形成、そして「目利き」としての信用と人脈を生かした選手売却だ。
ここ最近、バラが経営に参画しているクロアチア3部のクストシヤでは、驚くべき移籍が次々に実現している。昨年6月にU-17セネガル代表DFミカイル・フェイをバルセロナに440万ユーロの移籍金(+ボーナス最大2000万ユーロと転売差額の20%)で売却すると、今年1月にはU-17クロアチア代表FWディノ・クラピヤをRBライプツィヒに520万ユーロ(+転売差額の15%)で売却した。まるで錬金術師のように高額移籍を実現させているバラとは一体何者なのか?
格闘家ミルコ・クロコップの道場で191cmの肉体を鍛え、2年前にプロボクサーとしてリングデビューも果たしている異色の代理人は、かつてクロアチアの世代別代表も経験したプロフットボーラーだった。ポジションはCB。ディナモやバレンシアのアカデミーを経て、セグンダB(スペイン3部)のログロニェスやポーランドのレギア・ワルシャワに所属。レギアのトップチームで公式戦の出場機会は得られなかったが、2004年1月のトルコ合宿でルームメイトだったセルビア人CFスタンコ・スビトリツァ(02-03リーグ得点王)の思いつきが彼に「第二の人生」の扉を開かせた。
「ハノーバーからスビトリツァにオファーが届いたものの、彼は代理人をつけておらず、語学も心配でドイツ行きに消極的だった。そんな彼に『ブンデスリーガでプレーできるのにどうして行かないんだ?』と説得すると、『不安なので一緒に現地で交渉してくれないか?』と頼まれたんだ。私は語学を得意としていたし、過酷なキャンプ生活から逃亡する理由を探していたからね(笑)。キャプテンとして影響力のあったスビトリツァが私の同行を監督に説き伏せ、2人でドイツへと飛んだ。ハノーバーとのテーブル交渉ではこちらの要求はすべて通る。スビトリツァは『オレたちは友人だからな』と私の報酬分も水増ししてくれたんだ。契約書にサインして一緒にホテルへ戻ると、私は自分にこう言い聞かせたよ。『なぜオレはサッカー選手として走らなくちゃいけないんだ? 馬鹿らしくなってきた』。21歳の私はレギアとの契約が2年間残っていたけど、それを契機にサッカーをやめて代理人になる決断をした」
イングランドのスポーツマネージメント会社「ステーラー・グループ」の会長を務める大物代理人、ジョナサン・バーネットに頼み込んで弟子入りしたバラは、スペイン語に堪能だったことからスペイン市場を任された。2013年には当時史上最高額となるガレス・ベイルのレアル・マドリー移籍に関与。のちにジョルジュ・メンデスが設立に関わった投資ファンド「ドイエン・スポーツ」のクロアチア代表を務め、法人税の安いボスニア・ヘルツェゴビナに個人事務所の「ナイアガラ・スポーツ・カンパニー」を設立した。現在は74名の選手と6人の指導者を契約下に抱えるが、クロアチア人は3分の1に過ぎず、1年の大半を国外出張に充てている。また登記上の従業員は1人とはいえ、36人のスカウトと契約を結んで世界中の才能発掘に励んでいる。同時に「年俸の10%」のような代理人手数料を取ることは最初の数年でやめ、移籍をまとめた際にクラブから支払われるコミッションを主な収入源としてきた。ヨシュコ・グバルディオルのRBライプツィヒ移籍やマンチェスター・シティ移籍のように、他の代理人が抱える選手の交渉を助けることも稀ではない。
「成功報酬は何も要らない」。大仕事を見据えた人間関係強化術
これまでロブロ・マイェル(ボルフスブルク)やクリスティヤン・ヤキッチ(アウクスブルク)といったクロアチア代表のキャリア形成にも携わったバラだが、駆け出しの頃は未熟なタレントをビッグクラブに無闇に押し込み、結果的に彼らを挫折させてしまったことを悔やんでいる。それだけに今は個々の能力とクラブ事情をしっかりと鑑み、選手とクラブの双方がプラスになるような移籍をプロアクティブにマッチングしていくのが彼のスタイルだ。
「私は根気強く自分から仕向けていく代理人だ。どのクラブがどのポジションの選手を欲しているかを知り、私が推薦する選手が価格的にも性格的にも最高の選択であることをクライアントに納得させようとあれやこれやと頑張る。私自身の魅力を使ってでもね(笑)。それが私の仕事のスタイルだ。事務所の椅子に座って先方の連絡を待つことなどしない。どのクラブにどれだけの予算があるか知った上で、彼らがどれだけの移籍金を払えるかの尺度を作る専門家が私の周囲にいるので、具体的な数字を持ってクラブと交渉するんだ。それが唯一の正しい方法だと考えている。ただオファーが届くのを待つこともできるが、それでは好ましからざる環境に選手を放り込みかねない。そうやって若い才能を1人潰してしまうんだ」
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。