初出場タジキスタンをアジア杯8強に導いたオシムの弟子。ペタール・シェグルトが信じるサッカーの力(前編)
炎ゆるノゴメット#1
ディナモ・ザグレブが燃やす情熱の炎に火をつけられ、銀行を退職して2001年からクロアチアに移住。10年間のザグレブ生活で追った“ノゴメット”(クロアチア語で「サッカー」)の今に長束恭行氏が迫る。
WEB月刊連載として再始動する初回では、アジアカップで初出場のタジキスタンを8強へと導いたクロアチア人指導者の物語を前後編に分けてお届けする。
「タジキスタン!バ・ペシュ!」の勝ち鬨が代名詞
開催国カタールの優勝で閉幕したAFCアジアカップ2023。波乱続きの今大会で鮮烈な印象を残したチームが唯一の初出場国、タジキスタンだ。グループステージ第3節のレバノン戦で挙げたアディショナルタイムの決勝ゴールで2位に滑り込むと、決勝トーナメント1回戦では強敵UAEと互角に張り合ってPK戦を制した。準々決勝ではヨルダン相手にシュート数で上回ったものの、オウンゴールで0-1の惜敗。キャプテンでもある歴代最多得点のFWマヌチェフル・ジャリロフをがん闘病で欠き、主軸のMFアミルベク・ジュラボエフを膝十字靭帯断裂で開幕直前に失いながらも、組織されたアグレッシブなスタイルで旋風を巻き起こした。
旧ソ連で最貧国のタジキスタンがいかにしてサッカー界のレベルアップを図ってきたかは、篠崎直也氏が寄稿した『“12-0”から8年。勃興するタジキスタンサッカーの正体』と『台頭する若手有望株、今季のACLでの躍進――1年半前とは違うタジキスタン代表』に詳しい。そんな上向きのタジキスタン代表を2022年1月から率いたのが、クロアチア人指導者のペタール・シェグルトだ。風貌は映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で車型のタイムマシン「デロリアン」を発明したドク博士にそっくり。就任早々にタジキスタン国内でつけられた仇名は「アインシュタイン」。“マッド・サイエンティスト”さながらの彼の奇想天外な一挙手一投足は、アジアカップでも注目を浴びた。
GS第2節カタール戦で開催国寄りの笛を吹いた日本人主審に対して「良いフライトを願う」と皮肉ったかと思えば、前日会見では毎回のようにメディア全員と握手しながら通訳ブースにまで挨拶する律儀さも。ベンチでのエキセントリックな姿は何度もカメラに抜かれ、GS突破を決めると選手たちに揉みくちゃにされてメガネを壊してしまった。試合後の勝ち鬨(どき)パフォーマンスは彼の代名詞だ。拳を握りしめたシェグルトが「タジキスタン!」と大声で叫ぶと、「バ・ペシュ!(進め!)」と選手やサポーターが続ける。今大会では何度もその勝ち鬨が鳴り響いた。
このパフォーマンスが生まれた経緯をシェグルトはこのように振り返る。
「2022年3月にキルギスタンでアジアカップ3次予選を終え、私たちはバスに乗り込んだ。3試合無失点のグループ1位でタジキスタンが初めて本大会進出を決めたというのに、選手全員が下を向きながらシートに座っていたんだ。すかさず私はこう言ったよ。『お前ら、どうしたんだ? クロアチアでは勝利をしたら歌うものだぞ。さあ、立ち上がれ!』。彼らはキョトンとしていた。『もし歌えないのならば少なくとも“タジキスタン!バ・ペシュ!”と叫ぼうじゃないか』と提案し、私が『タジキスタン!』と振ると選手たちは『バ・ペシュ!』と続けた。それを7回繰り返すと、ようやく選手たちが歌い始めたんだ。それが事の始まりさ。
その瞬間は気づいていなかったんだけど、1人の選手がその光景をこっそり撮影していてね。映像がインターネットで拡散されるや否や、地元のレストランに訪れるたびに私は『タジキスタン!バ・ペシュ!』のパフォーマンスをねだられるようになった(笑)。スタジアムでもそう。ロシアとの親善試合では2万人の観客を相手にやったし、アウェイのUAE戦では5人のサポーターのために叫んだんだ(笑)」
クロアチア国内でもあまり知られていなかった57歳の指揮官の「履歴書」を紐解くと、そのエネルギッシュな性格と強烈な人間くささがゆえ、壮絶なキャリアを歩んでいた。彼がどんな人と出会い、どんな土地でどのようなサッカー哲学、そして人生哲学を培っていったのか。「デロリアン」に乗るがごとく、シェグルトの過去にタイムスリップしてみよう。
17歳で指導者の道へ。ライセンス講習でオシムと邂逅
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Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。