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3年ぶりの大分帰還。ベールを脱いだ「シン・カタノサッカー」の胎動

2024.02.01

トリニータ流離譚 第9回

片野坂知宏監督の下でJ3からJ2、そしてJ1へと昇格し、そこで課題を突きつけられ、下平隆宏監督とともにJ2で奮闘、そして再び片野坂監督が帰還する――漂泊しながら試練を克服して成長していく大分トリニータのリアルな姿を、ひぐらしひなつが綴る。第9回は、3年ぶりにクラブに帰還した片野坂監督の変化=「シン・カタノサッカー」の胎動に迫る。

 「みなさん、おひさしぶりです。そして、ただいま」

 2024年1月6日、新体制発表会見の場で、片野坂知宏監督は晴れ晴れとした表情を見せた。

 大分がJ3にまで転落した2016年の新体制発表会見の日、この同じ場所で発した言葉は「古巣の危機を救いにきました」だった。そうやって自身としても監督キャリアのスタートを切ると、じっくりと辛抱強く自らのサッカー観を注ぎ込んだ独特のスタイルを築き上げながら、1年でJ2復帰、就任3年目にJ1昇格と2段階昇格を成し遂げた。その敏腕指揮官が、3年ぶりに大分に戻ってきたのだ。

「カタノサッカー」の完成形と限界

 前回就任時に構築した独特のスタイルは指揮官の名にちなんだ「カタノサッカー」という愛称を得て、Jリーグ文化の1つとなった。現・北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督による「ミシャ式」を源流とした、GKからボールを繋いでビルドアップするポゼッション志向のスタイルで、その過程で相手のプレッシングを誘いながらスペースを生んでゴールへと迫っていく様子は、時に発動する擬似カウンターも含めて相手を陥れる痛快さに満ちたものだった。

 一方でそれは特徴的であるがゆえに相手からの対策にも遭った。

 その都度、それを再び上回る戦術アレンジを施しながらカタノサッカーはバージョンアップを続けたが、その時代の大分でのスタイルがほぼ完成形に近づいたと同時に、その試行の限界も見えることになった。コロナ禍によって5人交代制が導入されるなどレギュレーションが変わり、それにともなってサッカーそのものも変化していた激動の2021年、片野坂トリニータは力尽きたようにJ1残留争いに敗れ、体制下初の降格を喫した。

 悔しさを胸にそのシーズン限りでの退任を発表した後、勝ち進んでいた天皇杯で準優勝を遂げるあたりが、やはりこの指揮官は只者ではなかった。国立競技場でのファイナルゲームを終えた選手たちに「グッドルーザーでいよう。また大分に帰ってサッカーを続けよう」とエールを送って自身はチームを去ると、2022年はG大阪で監督に就任した。

 G大阪では大分での経験も生かしながら新たなスタイルを築こうと試みたが、上手く浸透せず、戦績がともなわずに8月で解任に。その後は解説者として主にJ1の試合を分析し、試合中継の視聴者に明快にフットボールの面白さを伝えた。

 大分を離れてからのその2年の間にも、世のサッカートレンドは変化し続けた。激しいハイプレスの流行が様式美を破壊しデザインされた攻撃を無効化する。「今はポゼッション志向のチームの方が苦しむことが多い」と片野坂監督は現状を語った。

Photo: Hinatsu Higurashi

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Profile

ひぐらしひなつ

大分県中津市生まれの大分を拠点とするサッカーライター。大分トリニータ公式コンテンツ「トリテン」などに執筆、エルゴラッソ大分担当。著書『大分から世界へ 大分トリニータユースの挑戦』『サッカーで一番大切な「あたりまえ」のこと』『監督の異常な愛情-または私は如何にしてこの稼業を・愛する・ようになったか』『救世主監督 片野坂知宏』『カタノサッカー・クロニクル』。最新刊は2023年3月『サッカー監督の決断と采配-傷だらけの名将たち-』。 note:https://note.com/windegg

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