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下平体制の2年間で「新しい自分の扉が開いた」梅崎司。個のアタッカーから戦術的プレーヤーへ

2023.12.21

トリニータ流離譚 第8回

片野坂知宏監督の下でJ3からJ2、そしてJ1へと昇格し、そこで課題を突きつけられ、現在は下平隆宏監督とともにJ2で奮闘する――漂泊しながら試練を克服して成長していく大分トリニータのリアルな姿を、ひぐらしひなつが綴る。第8回は、下平体制の2年間で蘇ったキャプテン、梅崎司の新たなサッカー観に迫る。

 「本当に、選手として終わるんじゃないかという不安もすごくありましたけど、シモさんのおかげで僕はもう一度、プレーヤーとしての価値を示せたと思っています」

 2023年11月12日、ホーム最終戦セレモニーで、就任1年目のシーズンを終えた小澤正風社長と今季限りで大分を離れる下平隆宏監督に続き、キャプテンとしてスピーチした梅崎司。目標としていたJ1昇格を果たせなかった悔しさや負傷離脱していた時期が長かったことへの心残り、自らがプロキャリアをスタートした頃のようにこのクラブを再びJ1のステージに定着させたい強い意志といった様々な思いを伝えた後で、自らのことにも言及した。梅崎のたどってきた道を思えば、その言葉にどれだけの質量が込められていたかは自ずと察することができる。

Photo: OITA F.C.

2021年、14年ぶりの古巣帰還

 長崎県諫早市生まれの梅崎は、隣り合う大村市の名門クラブ「キックスFC」で中学時代を過ごし、2002年に大分トリニータU-18に加入。高校を卒業した2005年にトップチームに昇格すると、プロ2年目の夏にはアカデミー同期の西川周作とともにクラブ初のA代表に選出されて“オシム・ジャパン”の一員となった。はやる向上心のままに翌年にはフランスへと渡り、グルノーブルで半年間プレー。2008年からは浦和レッズに完全移籍して、10シーズンをビッグクラブで過ごす。2018年、曺貴裁監督に強く誘われて湘南ベルマーレへと拠点を移したが、2021年7月、大分へと戻ってきた。

 幾度もの大ケガを乗り越え、世界大会への出場や残留争いも経験しながら成長した“大分アカデミーのレジェンド”の帰還は、古くからの大分のサポーターたちを大いに沸かせた。梅崎自身も14年ぶりの古巣でのプレーには並ならぬ思いをもって臨んだはずだ。梅崎が浦和に移籍した2008年は、ペリクレス・シャムスカ監督に率いられた大分がJ1で最高戦績を収めたシーズンで、ナビスコカップでタイトルも獲っている。自らが飛躍を期して移籍した浦和での1年目、途中から徐々に出場機会を減らしていた時期には、複雑な思いを抱いたこともあった。2014年にはサンフレッチェ広島から西川が移籍加入し、まさかの浦和で大分の生え抜きコンビを復活させる。ビッグクラブの戦いを支えながら、第二の故郷のことはいつも忘れずにいた。

 梅崎は大きな負傷を繰り返し、大分はすべてのカテゴリーを上下動する激動の日々の中、対戦したのは2013年J1第3節の大分対浦和と、2019年J1第11節の湘南対大分の2度だけだ。1度目は2-2で引き分け、2度目は0-1で大分に敗れた。その後、負傷の影響もあってなかなか試合に絡めずにいた時期に、大分からオファーが届いたのだった。

 その時点で34歳の梅崎は、大分では最年長。現役プレーヤーとしては決して若くはない年齢だが、その潤沢なキャリアはJ1での3シーズン目に残留争い中のチームを支えるはずだ。何度も大ケガを乗り越えてはチームに力をもたらしてきた経験がある。2009年に腰を痛めて夏に復帰後、11月に右膝前十字靭帯を損傷。翌年には右膝半月板も損傷して調子の上がらないままに過ごしていたが、秋に復帰すると目覚ましい活躍を見せ、最終節に浦和のJ1残留を後押しした。2018年の湘南ではクラブの経営形態が変わったり監督が途中交代したりといろいろなことが起きた中で、J1残留とYBCルヴァンカップ戴冠に貢献している。たとえあまり試合に絡めていなくても、精神面で果たした役割も大きかったに違いない。

 そんな周囲の期待とは裏腹に、だが、梅崎の2021年後半戦の出場機会はリーグ戦わずか4試合にとどまった。グルノーブルから大分に戻って来た時は移籍前と同じシャムスカ監督体制だったので、それを除けばシーズン途中での移籍加入は初めての経験だ。加えて「カタノサッカー」という独特のスタイルが6年目にしてその時点での完成形を見せていたチームに、即戦力としてフィットしていくことは容易ではなかった。

 「今季の大分は多くの主力が移籍して、なかなか中心となる選手がはっきりしていないのかなと。戦術的に相手を引き込んだり相手の裏を突いたりすることに長けているチームだと思いますが、その部分で相手のプレッシャーに負けていたりして、どういう心理状況でボールを回しているのかというところさえよくなれば、本来の良さが出てくるのかなと思いながら見ていました」

 加入当初からチーム戦術を分析し、時には周囲にも相談しながら、その中で自身のストロングポイントを生かそうと試行錯誤したが、当時の片野坂知宏監督からはなかなかお墨付きをもらえない。環境の変化による負傷も繰り返して思うようにチームの力になれないもどかしさのうちに、大分はその年、J1残留争いに敗れた。チームはその後、天皇杯準優勝でシーズンを終えたが、梅崎はメンバーに入ることもなく、古巣の浦和と対戦した決勝戦も、外から眺める立場となった。

Photo: OITA F.C.

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Profile

ひぐらしひなつ

大分県中津市生まれの大分を拠点とするサッカーライター。大分トリニータ公式コンテンツ「トリテン」などに執筆、エルゴラッソ大分担当。著書『大分から世界へ 大分トリニータユースの挑戦』『サッカーで一番大切な「あたりまえ」のこと』『監督の異常な愛情-または私は如何にしてこの稼業を・愛する・ようになったか』『救世主監督 片野坂知宏』『カタノサッカー・クロニクル』。最新刊は2023年3月『サッカー監督の決断と采配-傷だらけの名将たち-』。 note:https://note.com/windegg

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