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“下平トリニータ”は何を目指していたのか?最後に回帰した[4-3-3]の意味

2023.11.17

トリニータ流離譚 第7回

片野坂知宏監督の下でJ3からJ2、そしてJ1へと昇格し、そこで課題を突きつけられ、現在は下平隆宏監督とともにJ2で奮闘する――漂泊しながら試練を克服して成長していく大分トリニータのリアルな姿を、ひぐらしひなつが綴る。第7回は、2年で幕を下ろすことになった下平トリニータの2年間を総括し、下平隆宏監督と大分トリニータそれぞれの未来について考える一助にしたい。

 少なくとも前半に関しては、間違いなく“下平トリニータ”のベストゲームだった。指揮官が最もこだわりを持ち研究してきた[4-3-3]システムで、相手に攻撃機会をほとんど与えないほどの圧倒的展開でスタートしたJ2第42節・群馬戦。前半のうちに2点のリードを得ると、後半に積極性を高めた相手に1点を返されたが、最後は5バックでゴール前を固めながらもそこから攻撃に出ていく姿勢を崩さずに2-1で逃げ切りに成功し、下平隆宏監督にとっての大分でのラストゲームを白星で飾った。

 試合後に下平監督は「非常に手応えがあった。今さらながら」と苦笑い混じりにうれしい表情を見せた。「最後の4試合で[4-3-3]を採用し、フィニッシュのところで課題はあるのだが、いちばんチャンスを作れていると思う。今日もミーティングで選手たちと、今がサッカーをやっていていちばん楽しいと話した」

 大分の監督に就任した昨年1月、最初にチームに落とし込もうとしたのがこの[4-3-3]での攻撃的スタイルだった。一昨年4月に横浜FCでの任を解かれた後、横浜F・マリノスの練習場を訪ねたりもしながら考察を深めブラッシュアップした自らの戦術を、新任地の大分でピッチに描き出すつもりだった。だが、その戦術がなかなか上手く浸透せず、開幕から2分2敗のスタート。結局、5戦目からはシステムを変更し、最初の志は早くも潰えることになった。

「似た戦術志向」の盟友が作ったチームへの期待

 下平監督自身も周囲も、期待感に満ちての就任だった。

 前年まで6シーズンにわたって大分を率いた片野坂知宏前監督とは、1990年の第68回高校選手権1回戦で、五戸高校と鹿児島実業高校のそれぞれキャプテンとして対戦した時以来の旧知の仲。ともに高校卒業後にプロになり、一時は柏でチームメイトとしてプレーするなどその後も切磋琢磨して指導者の道へ。2019年には横浜FCをJ1昇格させた下平監督がJ2優秀監督、大分の存在感をJ1で際立たせた片野坂監督がJ1優秀監督に選ばれ、アウォーズの壇上に並んで表彰された一幕もあった。

2019 Jリーグアウォーズの舞台裏。12:13からは下平監督(当時横浜FC)と片野坂監督(当時大分トリニータ)の仲睦まじい様子を見ることができる

 J3に転落した大分をJ1にまで2段階昇格させ、3シーズン目に力尽きてJ2降格となったのを機に退任した盟友の後を受け、下平監督は大分へとやってきた。片野坂前監督はJ2降格決定後のチームで天皇杯準優勝を遂げ、その勢いのままにJ2降格にもかかわらず28名もの選手が契約を更新して、組織の土台は維持されている。……

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Profile

ひぐらしひなつ

大分県中津市生まれの大分を拠点とするサッカーライター。大分トリニータ公式コンテンツ「トリテン」などに執筆、エルゴラッソ大分担当。著書『大分から世界へ 大分トリニータユースの挑戦』『サッカーで一番大切な「あたりまえ」のこと』『監督の異常な愛情-または私は如何にしてこの稼業を・愛する・ようになったか』『救世主監督 片野坂知宏』『カタノサッカー・クロニクル』。最新刊は2023年3月『サッカー監督の決断と采配-傷だらけの名将たち-』。 note:https://note.com/windegg

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