Jリーグ30周年に40回目のみちのくダービー。今を生きる渡邉晋と梁勇基、それぞれの道
ベガルタ・ピッチサイドリポート第1回
サッカーとは縁遠い生活を送っていた女性は、ベガルタ仙台と出会ったことで人生の色合いが大きく変わったという。杜の都を駆け回るピッチリポーター、村林いづみとベガルタの幸せなストーリーがここにある。
ベガルタ仙台とモンテディオ山形。1999年のJ2リーグ創設から、Jリーグにおける東北のサッカー界を牽引し続けてきた両雄にとって、『みちのくダービー』はいつだって特別だ。だからこそ、ベガルタのホームゲームとして迎えた記念すべき40回目のこのビッグマッチに、ユアスタのテクニカルエリアを誰よりもよく知る渡邊晋が敵将として現れるなんて、あまりに出来過ぎたシナリオではないだろうか。となれば、この人の登場だ。今回のダービーにインタビュアーとして立ち会った村林いづみが、梁勇基の想いも掬い上げ、彼女らしくエモーショナルな一戦を振り返る。
インタビュアーとしての迷いと葛藤
みちのくダービー、試合前からどことなく浮足立ってしまう自分がいた。
「インタビューでは、渡邉晋監督にどんなことを聞こうか」
これがいいんじゃないか。いや、こう聞いたらもっと引き出せるんじゃないか。ノートに質問やキーワードを書いては消し、消しては書いてを繰り返した。ベガルタ仙台のホーム、ユアテックスタジアム仙台に、モンテディオ山形の渡邉晋監督を迎える。「敵将・ナベさん」、それはとても不思議な感覚だった。
4月2日に発表されたモンテディオ山形の監督交代。「クラモフスキー監督の契約解除」とそれに伴う「渡邉晋コーチの監督就任」の報は、仙台の人々へ若干の既視感をもたらした。ディテールは異なるが、「オーストラリア人監督から渡邉コーチへのバトンタッチ」は2014年のベガルタ仙台でも起こったことだったからだ。「あの時も4月だったなぁ」「ということは、5月にナベさんが監督としてユアスタに来ちゃうね……」。仙台のメディア仲間とそんな話をしていた。
2001年から2004年までの4年間をベガルタ仙台の選手として過ごした渡邉監督は、現役引退後も仙台で巡回コーチやアカデミースタッフとして育成に力を注いだ。2008年には当時の手倉森誠監督の下、トップチームコーチに就任。手倉森氏がリオ五輪日本代表監督となり、2014年にはグラハム・アーノルド氏を招聘。しかし、成績不振により解任されると、JFA公認S級指導者ライセンスを取ったばかりの渡邉晋コーチが監督へ昇格したのだった。
初めての“クラブはえぬき監督”は、それまで最長だった手倉森氏に並ぶ6シーズンを務め、2018年にはベガルタを初の天皇杯決勝の舞台へと導いた。戦術本を出版するほどの知将は、どんな時も真摯に取材陣に向き合った。練習後や会見で語られる言葉や身のこなしもスマートだった。
ベガルタ時代には幾度も「みちのくダービー」への特別な思いを聞かせてくれた渡邉監督。「選手時代、山形戦(2001年5月3日第2節/2-2)でゴールを決めたけれど、追いつかれて結果は引き分け。スタンドのサポーターからは厳しい言葉を浴びせられた」と笑ったが、選手時代に演じた真剣勝負のダービーから、植え付けられたものがあったのだろう。山形サイドで迎える今回の40回目となるダービー。試合前の会見でも「(仙台戦は)勝たなければいけない試合。勝つことがマスト」と選手たちに呼びかけた。自分自身の古巣への思いは封印。多くを語らない。ナベさんらしいなと思った。そして益々、「インタビューで何をどう聞こう……」と悩み始めてしまったのだった。
梁勇基が待ち望んだ“声出し応援あり”のみちのくダービー
プロ選手生活20年目を迎えるMF梁勇基も、みちのくダービーで喜びも悔しさも味わってきた一人だ。2004年に阪南大学からベガルタに加入。2006年からは背番号10を身に着け、「仙台の象徴」として数々の名場面を彩ってきた。
2008年に入れ替え戦で飲んだ涙。2009年のJ2優勝。東日本大震災からの再開試合。2012年のJ1優勝争いと、どのシーンにも梁の姿があった。共に長い時間を過ごしてきた渡邉監督を、対戦相手として迎えることは梁にとっても不思議な感覚だった。
「両クラブにとってダービーと言うのは昔から特別だったし、それは選手、スタッフだけではなくサポーターの皆さんにとってもそうだと思います。ナベさんはベガルタ仙台の一員として、そういうダービーを数多く戦ってきました。対戦は楽しみでもあり、やりづらさも個人的には感じます」。
選手としては2004年に1年間一緒にプレーし、その後は師弟関係を築いてきた。言葉にしなくてもわかる互いの思いもある。渡邉監督が仙台を離れることとなった2019年末には、梁もまた契約満了が告げられた。その後、2年間をサガン鳥栖で過ごすが、2022年にはベガルタへ復帰。彼の帰りを待っていた「空き番号10」のユニフォームは再び輝き始めた。
今季のスタート、梁はなかなか出番に恵まれなかった。それでもトレーニングでは若手と同じメニューを文句一つこぼさず、やり遂げる。少しでも仲間の緩みを感じたら、「そこ、もっといけるぞ!」と声を上げ、新人や練習生の細かな良いプレーも見逃さず声をかけた。
たゆまず努力し続ける41歳に、ゴールデンウィークの連戦で今季初めての出番が巡ってきた。第12節大分トリニータ戦で初のメンバー入り。後半に途中出場でピッチに立つと、サポーターは「梁ダンス」で迎えた。スタンドが揺れた。制限なしの声出し応援で繰り出される梁のチャントはユアスタに熱狂と勝利を呼び込んだ。
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Profile
村林 いづみ
フリーアナウンサー、ライター。2007年よりスカパー!やDAZNでベガルタ仙台を中心に試合中継のピッチリポーターを務める。ベガルタ仙台の節目にはだいたいピッチサイドで涙ぐみ、祝杯と勝利のヒーローインタビューを何よりも楽しみに生きる。かつてスカパー!で好評を博した「ベガッ太さんとの夫婦漫才」をどこかで復活させたいと画策している。