REGULAR

【サッカー小説】狼のサンバ:VOL.4「テレ・サンターナ」

2022.12.09

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ラッキーナンバー「13」

 1994年アメリカワールドカップ決勝は大会史上初のPK戦にもつれこんだ。イタリアのエース、ロベルト・バッジョがPKスポットへ歩き始めた時、マリオ・ザガロは傍らにいた息子パウロ・ザガロの腕をつかんで言った。

 「俺たちの優勝だ、4回目のチャンピオンだ!」

 とっさにパウロはバッジョのスペルを確認した。

 「ROBERTO BAGGIO――13文字だ……」

 その時、偉大な父の確信を理解した。マリオ・ザガロは「13」をラッキーナンバーだと信じていたのだ。

 ブラジル初優勝の1958年は、下二桁の5+8=13。ボタフォゴで監督を始めた67年も6+7=13。そしてこの94年も9+4=13。さらにセレソンのスポンサーだった2つの会社の文字数を足すと13だった(UMBRO/5文字、COCA-COLA/9文字)。

 他にも何だかんだと、こじつけ気味の13にまつわる幸運があるのだが、そもそも「13」をラッキーナンバーだと信じるようになったのは、妻アリシアと結婚したのが55年の1月13日だったからに過ぎない。ザガロにとってそれが幸運な出来事だったのは確かだが、フットボールでの幸運もなぜか「13」とともに訪れていることに気づいた。それがあまりにも続くので、やがて運命のラッキーナンバーだと思うようになった。

 13文字の男、ロベルト・バッジョはシュートを打ち上げ、ブラジルは4度目の優勝を果たしている。実に24年ぶり、ザガロが率いた70年以来だった。この時の監督はカルロス・アルベルト・パレイラだが、ザガロとパレイラは師弟関係である。70年大会はザガロが監督、パレイラはフィジカルコーチだった。94年はパレイラ監督、ザガロはテクニカルコーディネーターという役職だが実質的な二頭体制と見ていいだろう。

……

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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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