ザガロの[4-2.5-3.5]
カニョテイロが負傷してザガロは左ウイングの二番手に昇格した。まだエバリスト、ペペとライバルがいたが、エバリストは外れて最終的に左ウイングはザガロとペペが最終メンバーに選出された。
1958年ワールドカップの前年に行われた南米予選ではバルセロナでプレーしていたエバリストが起用され、右にはガリンシャが抜擢されている。しかしペルーとの2試合は1-1、1-0。ブラジルのグループはベネズエラが棄権したのでペルーとの一騎打ちだったのだが、結果内容とも辛勝だった。
右ウイング、ガリンシャの台頭はザガロの読み通りだ。破格のドリブラーであるガリンシャがポジションを確保することで、バランサーとして左ウイングである自らの価値が上がるというのがザガロの計算である。
ワールドカップイヤーとなって4月、セレソンは早くも準備を開始している。リオデジャネイロに31人を招集してキャンプを行い、その後に5人をメンバーから外した。さらに4人を落とすというオーディション形式の強化プランである。その間、強化試合も精力的にこなしていった。サンパウロではコリンチャンス、リオでフラメンゴと対戦し、その後にパラグアイと2試合、ブルガリアと2試合を行っている。
ここでちょっとした事件が起こる。スウェーデン入りの前にイタリアでフィオレンティーナ、インテルと試合をしたのだが、フィオレンティーナ戦でガリンシャがGKもドリブルで抜いた後にゴールライン上にボールを置くという挑発的な行為をして、ビセンテ・フェオラ監督の怒りを買ってしまったのだ。この一件でガリンシャはスタメンから外れた。
ただ、ザガロはすでに自分の価値を示し、11番のポジションを確保していた。……
Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。