【河内一馬コラム】スカローニとメッシ、神様のいないアルゼンチンのW杯
社会から文化まで!W杯スペシャルコラム
今やいちスポーツのビッグイベントの枠を超え、様々な影響を与えるワールドカップ。社会や文化など、オフ・ザ・ピッチのトピックについて論じる。
アルゼンチンに2年間在住し、指導者ライセンスを取得した河内一馬。帰国して2年、鎌倉インテルで指揮を執る異色監督の目に、無名だったスカローニの下で35戦無敗と最高潮にある第二の母国の代表チームはどう映っているのか――。現地での記憶を回想しながら、思いを巡らせてもらおう。
4年と、2年。前回のW杯から4年、私がアルゼンチンから帰国して2年の月日が経過したようです。驚くべきスピード感。そろそろ、アルゼンチンで過ごした怒涛の日々にもノスタルジーを感じ始めていたところですが、やれやれ本当にいろいろあったなと、W杯の開催とともに思い出していたところです。
前回のロシア大会は、私は生まれて初めて外国で(かつ多分最初で最後の)アルゼンチンで迎えました。滞在中の3年間、footballistaでもいろいろと記事を書かせていただいたり、トークイベントに出演させていただいたりしたものですから、帰国からしばらく時間が経って(いくらか老けて)、またこうしてアルゼンチンについてコラムを書かせてもらっていることは、なにか感慨深いものがあります。これを機に、少し当時のことを回想しながら、サッカー大国アルゼンチンに想いを馳せてみたいと思います。
戦術家サンパオリの失敗
ホルヘ・サンパオリ。この名前を聞くと、「ああ懐かしい!」と叫びたくなります。そうです、現在はリーガ・エスパニョーラのセビージャで監督を務める、見た目はほとんどヤクザの人です。前回のロシア大会でアルゼンチン代表の指揮を執ったサンパオリですが、大会前から評判も内容も最悪、現在のアルゼンチン代表監督を務めるにあたって最も大切と言っていい「メッシとの関係性」においても悪い噂しか流れてこないような状態で、アルゼンチン国民は(私が現地で感じていた限りでは)まったくもって期待感を持てないまま本大会を迎えました。
ただでさえ、協会の動向に対して不信感が漂っていましたし、サッカーの内容はというと、強くもなく、楽しくもなく、という感じでした。
おい、よりによって俺がアルゼンチンに居る時になんでそんなんなんだよ、と大会が始まるまでに10回くらいは言ったと思います。後々、アナリストとしてW杯に帯同した友人のコーチに話を聞いたところ、「うまくいかなかった理由は人間関係の問題が8割で、戦術は2割以下」と言っていたので、悪い噂と、見た感じで伝わってくる選手と監督間の信頼関係の薄さは、どうやらそのまま本当のようでした(内緒ですよ)。
彼はペップやビエルサお墨付きのコーチですが、戦術どうこうでどうにかできる状況ではなかったのかもしれません。結局、アルゼンチン代表は大国の底力を見せたはものの(あれであんなに点取っちゃうのすごいな、と思った記憶がありますが)フランスに敗れ、ベスト16で敗退。私はパブリックビューイングで試合を観戦していましたが、敗退が決まった瞬間のアルゼンチン人たちの絶望的な表情は、一生忘れないと思います。あの顔はできねえな……と思いました。さて、それからサンパオリの解任を受けて登場したのが、“暫定監督”のリオネル・スカローニでした。
期待ゼロだった暫定監督の船出
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Profile
河内 一馬
1992年生まれ、東京都出身。18歳で選手としてのキャリアを終えたのち指導者の道へ。国内でのコーチ経験を経て、23歳の時にアジアとヨーロッパ約15カ国を回りサッカーを視察。その後25歳でアルゼンチンに渡り、現地の監督養成学校に3年間在学、CONMEBOL PRO(南米サッカー連盟最高位)ライセンスを取得。帰国後は鎌倉インターナショナルFCの監督に就任し、同クラブではブランディング責任者も務めている。その他、執筆やNPO法人 love.fútbol Japanで理事を務めるなど、サッカーを軸に多岐にわたる活動を行っている。著書に『競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか』。鍼灸師国家資格保持。