プレー原則よりも俯瞰的なもの――原則の“独り歩き”への警鐘
『ナーゲルスマン流52の原則』発売記念企画#5
6月30日に全国発売となった、小社刊『ナーゲルスマン流52の原則』。史上最年少28歳でのブンデスリーガ監督デビューから6年、当代屈指の名将の一人に数えられるところまで上り詰めた指揮官の「“6番”の場所で横パスしてはいけない 」「ドリブル後のパスは、ドリブルで移動した距離より長くする」といったピッチ内でのプレー原則はもちろん、組織マネジメントの方法論や価値観に至るまで彼が実践している52の“原則”に迫った一冊だ。今回は発売を記念して、現在Y.S.C.C.横浜セカンドチームを率いている日本の新世代監督の1人にして、著書『「戦術脳」を鍛える最先端トレーニングの教科書 欧州サッカーの新機軸「戦術的ピリオダイゼーション」実践編』(小社刊)でプレー原則について論述している山口遼氏に書評を依頼。注目が集まるあまり見落としがちな「プレー原則」の定義や位置づけ、実際にプレーとして落とし込むにあたり重要になることなどを、指導の全体像を踏まえて論じる。
※無料公開期間は終了しました
<ご購入はこちら>
現在のサッカー界は、いまだかつてないほどに「監督の時代」である。それ自体が良いか悪いかは別にして、ペップ・グアルディオラが監督としてサッカー界に舞い戻ったのを境に、サッカーにおける監督の重要性は限りなく高まった。「監督」という存在は、かつてはオカルト的な“マネジメント”力や“男としての格”といったものしか指標が存在しなかった。しかし、サッカー界の内外にかかわらず、マネジメントやメンタル、複雑系といったかつてブラックボックスだったものをかなり科学的に分析できるようになったことで、あらゆる業界でマネージャーの役割や手法論が明確化し、重要視されるようになった。そのようなタイミングでペップという時代の寵児が現れたこともあってか、さまざまな“スター監督”たちが登場することになった。その結果、ユルゲン・クロップやトーマス・トゥヘルなどが集うプレミアリーグが、もはや「監督たちのCL」と化しているのは非常に示唆的だ。
その中でも本書で取り上げられているユリアン・ナーゲルスマンは、28歳にしてブンデスリーガで監督に就任するなど、新世代の監督として今世界でも最も注目される監督の1人だ。ペップらよりもひと回り若く、手法的にもテクノロジーを駆使するなど先進性にあふれていることで、彼がどのようにサッカー界で成功を手にしていくのかは今後のサッカー監督業界に大きな影響を及ぼすことになるだろう。本書では、戦術的ピリオダイゼーション理論を出発点として広く一般に普及した「プレー原則」を広く比喩的に展開し、ピッチ内外のナーゲルスマンの「原則」として彼の哲学を紹介している。この記事では、本書の内容にも触れながら、「原則」やそれを通じた監督としてのマネジメント手法について考えていきたいと思う。
複雑系マネジメント手法としての「シンプルなルール」(≒原則)という制御方法
そもそも、「プレー原則」という概念はどのようなものなのだろうか。本書ではわかりやすさを重視するため、やや広義的に「原則」という形で紹介されているものもあるが、だからこそ本来の「プレー原則」というものがどのように定義されるものかを把握することも重要だろう。
プレー原則とは一般的に戦術的ピリオダイゼーション理論におけるゲームモデルの準原則や準々原則といった下位の意思決定基準を指して用いられる。戦術的ピリオダイゼーション理論では、サッカーを「複雑系」として捉えることがすべての出発点となる。複雑系とは、「多数の構成要素間に複雑な相互作用が存在する系」であると定義される。すなわち、相互に影響を与え合う関係性があまりにも複雑に絡み合っているので、その未来を予測したりコントロールしたりするのが非常に困難な“空間”である。サッカーは22人ものプレーヤーやその周囲の環境がひっきりなしに互いに影響を与え合うので、文句なしの複雑系である。
そのような複雑な環境下でもなるべく効果的に系の挙動をコントロールしたいとなった際に、重要なのは“局所的相互作用に関するシンプルなルール”を設定することだというのが複雑系の研究によって明らかになった。こうして生まれたのが意思決定基準としてのゲームモデルであり、その下位原則としてのプレー原則である。ゲームモデルの主原則はより上位の制約概念であり、目的地や目的意識といったものが定められ、その達成に必要な具体的な行動基準が準原則以下、すなわちプレー原則ということになる。
つまり、厳密な意味での「プレー原則」を選択する際に重要なのは、それが「局所的な相互作用」、つまり周囲のいくつかの関係性に限定された範囲で意思決定の基準となるようなシンプルなルールになっているかどうかだ。そのような意味では、本書でも紹介されている「最小限の幅」「Vの傾き」「2タッチプレー」といった原則は、まさに下位の行動原則である「プレー原則」に当たると言えるだろう。
プレー原則が必然的に持つ“ユニークさ(≒指導者固有性)”
本書はそのすべてをナーゲルスマンが証言したものではなく、あくまで公開された情報から推察されたものであるという部分を差し引いたとしても、ひと際目を引くのはナーゲルスマンのプレー原則における言語化のユニークさであろう。ビルドアップの際に3バックが互いのポジションに縦の段差をつけることを「Vの傾き」と表現するセンスは、良い悪いは置いておいて非常にオリジナリティを感じさせる。
また本書にもあるように、この「Vの傾き」という表現は絶妙な“表現の幅”を含んでおり、中央のCBが下がる通常のV字だけでなく、左右のCBに比べて中央のCBが高いポジションを取る“逆V字の配置”の意味を内包しているという。この箇所はおそらくナーゲルスマン本人の証言を基にした箇所ではないため、事実かどうかを外野の我われが確かめることは難しい。しかし、少なくとも「Vの傾き」という言葉がそのような“表現の幅”を含んでいるように解釈でき、さらにナーゲルスマンが実際にピッチ上で見せるサッカーの内容とも一定のリンクを含んでいるのは事実である。
また、私はかつてナーゲルスマンがRBライプツィヒの監督をしていた際に彼のゲームモデルを分析する記事を執筆したことがあるが、その際「最小限の幅」について、私は「4レーンでポジショナルプレーをしている」と表現した。当時は「最小限の幅」や「7レーンのうち5レーンを埋める」という考え方はまだ一般的でなかったように記憶しているので、おそらく日本においてはかなり初期の段階で「最小限の幅」について言及した記事になっているかもしれない。
しかし重要なのは、ここで私が表現した「4レーンでのポジショナルプレー」と、実際に表現されている「7レーンのうち5レーンを占有してのポジショナルプレー」では若干ニュアンスや解像度の違いがあることだ。4レーンと表現するよりも、7レーンのうちの5レーンとすることで、既存のピッチ全体を5レーンに分けるポジショナルプレーのエッセンスを横展開できるという点で、解像度が高さは後者が勝る。このように、「レーン」というわかりやすい目印によって選手のイメージを整理するのは、後に述べるアフォーダンスの考え方そのものだが、このように微妙な表現の違い/ユニークさは選手やチームの適応の仕方に影響を与えることになる。
先にも述べたように、プレー原則は複雑系であるサッカーをなるべく効率的に制御するための“シンプルなルール”である。戦術的ピリオダイゼーション理論などの各種トレーニング理論では、これをコーチングによる“言語的刷り込み”(≒形式知)とトレーニングやアフォーダンスによる“環境との相互作用による体験的刷り込み”(≒経験知)の両輪で選手やチームに学習させていくことを目指す。
コーチング(あるいはミーティング)による言語的刷り込みの割合が大きくなり過ぎることは、形式知に学習が偏ることを意味するためあまり推奨されたものではない。サッカーのような複雑系を扱うには、単純化された形式知よりも複雑な情報を含む経験知の方が重要だからだ。しかし一方で、学習に時間がかかる経験知に偏ると効率が悪くなりがちな学習プロセスにおいて、適切な形式知を与えることは学習の効果的な補助となる。
デジタル音源に変換された音楽が生音源のすべてを反映できないのと同じように、プレー原則は現象を言語化する際にどうしても説明される現象が単純化、矮小化されてしまうのは避けがたい。しかし上記のような意味で言うと、なるべく“シンプルなルール”の中にも解釈できる意味に幅を持たせることで、さまざまな状況を解決できる表現であることが望ましい。だからこそ戦術的ピリオダイゼーション理論において、ゲームモデルおよびプレー原則の設定こそ、トレーニングデザインと並んで指導者のセンス、資質が問われる部分であると言える。指導者はサッカーで起きている現象をどのように言語化し、表現するかに細心の注意を払う必要があるのだ。
逆に言えばそれは、指導者は自身の言語化の仕方こそが商売道具の1つであることを意味するため、通常ではなかなか知り得ないであろうナーゲルスマンのような優れた指導者の表現、言語化の一端を垣間見ることができる本書は現場の指導者に対して大きな示唆を与えていると言えるだろう。
プレー原則だけでは機能しない:アフォーダンスとトレーニングによる学習
とはいえ、先にも述べた通り指導者はゲームモデルやプレー原則を作るだけでその仕事を終えるわけにはいかない。選手やチームとしての成長という学習プロセスにおいてより重要なのはトレーニングや試合の中での“経験知”の方だからだ。
そもそも学習環境デザインの分野において、人間の学習プロセスは“環境との相互作用を通して新たな形で環境に適応すること”と定義される。つまり必然的に、サッカーの指導者の役割においてトレーニング環境をデザインすることは非常に重要なものになることがわかる。チームや選手の成長に必要な要素を、コーチングやミーティングによって長々としゃべって獲得させるのではなく、トレーニングの環境、すなわちオーガナイズによって自然と獲得できるようにデザインすることが求められるのだ。
「守から攻の切り替えを早くしろ!」と叫ぶよりも、「フリーマンが2人いて、1人は必ずそれぞれの陣地に残っている(=カウンター要員が常に用意されている)」というルールをゲームに加える方が自然と縦に早いゲーム展開を作り出すことができる。「少ないタッチで素早い判断を下す」ことをコーチングによって意識させなくても、狭いピッチで短く爆発的なセッションを行うことで素早い判断が必要な状況へと誘導できる。
トレーニングやゲームにおいて、状況や環境から情報を読み取ることで認識される、「これができそうだな」という行為の可能性を“アフォーダンス”という。同じ状況や環境を認知したとしても、どのような行為の可能性を読み取ることができるかは選手次第であり、トレーニングの1つの目的は「選手が状況から適切なアフォーダンスを読み取れるようにすること」である。適切なアフォーダンスを状況から読み取れるようになるということは、すなわちサッカーにおいて最も重要な“意思決定の質”が向上することを意味するからだ。
そこで、指導者はトレーニングの環境に“わかりやすいアフォーダンス”を用意することで、選手がサッカーの試合中に受け取れた方が良いアフォーダンスをわかりやすく強調することがある。例えば、ビルドアップのトレーニングでは「前進」という目的の性質上複数のゴールが用意されることが多い。しかし一方で、5つのレーンを基準にゴールの位置を与える際に、「サイドレーンに2つ、中央レーンに1つ」というゴール設定でトレーニングをしたチームと、「ハーフスペースに2つ、中央レーンに1つ」というゴール設定でトレーニングをしたチームとでは、自然と「ビルドアップ」という状況に関して抱く目的意識のイメージは異なるものになってくる。
これはどちらが良いとか悪いとかといった話ではなく、たとえ同じプレー原則を持っていたとしても、トレーニングの環境設定の違いによってチームや選手は異なる形で適応するということを意味する。だからこそ先にも述べた通り、指導者の仕事においてトレーニングの環境デザインは最も重要な役割の1つになると言ってもいいだろう。
技術論よりも重要な「目的意識」「環境」「パラダイム」の影響
ここまで見てきたように、「プレー原則」の考え方が、これまでのつまらない戦術トレーニング(相手のいないシャドートレーニングや展開の決まった“リハーサル”トレーニングなど)を打ち破る有機的な魅力を持つことは事実だ。しかし一方で、日本において「ゲームモデル」や「トレーニングデザイン」よりも「プレー原則」の方が抽出されて広まりつつあることには危機感を感じるのも事実だ。……
Profile
山口 遼
1995年11月23日、茨城県つくば市出身。東京大学工学部化学システム工学科中退。鹿島アントラーズつくばJY、鹿島アントラーズユースを経て、東京大学ア式蹴球部へ。2020年シーズンから同部監督および東京ユナイテッドFCコーチを兼任。2022年シーズンはY.S.C.C.セカンド監督、2023年シーズンからはエリース東京FC監督を務める。twitter: @ryo14afd