倉敷実況にも通ずる語り口とアプローチ。僕たちもこんな本を作ってみたかった
『バルサ・コンプレックス』発売記念企画#9
4月28日に刊行した『バルサ・コンプレックス』は、著名ジャーナリストのサイモン・クーパーがバルセロナの美醜を戦術、育成、移籍から文化、社会、政治まであますところなく解き明かした、500ページ以上におよぶ超大作だ。その発売を記念して、フットボール実況のカリスマで文筆家でもある倉敷保雄さんが、あの日のバルサに想いを馳せながら綴ってくれた。
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とても個人的な感想になるけれど、『バルサ・コンプレックス』を読み進めていくと、時折、自分がラ・リーガを中継するために集めた資料との再会があり、それが楽しかった。
例えば、ペップが監督就任時にバルサに持ち込んだ数々のルールとか、選手はどんな栄養素を摂るべきとか、選手個別の食事メニューなど、それらはスペインの大手新聞にも掲載された記事だったから、試合の背景を想像するための資料として、当時、中継やフットボール情報番組で紹介した覚えがある。
興味深いコメントや情報がとても多いから、バルサストーリーとして読み飛ばすなら速読も可能だが、それはとてももったいない。
バルサ関係者のコメントや著者の指摘から知ることができる近代フットボールの理(ことわり)は、この競技やバルサを熱心に知りたいファンであれば、抜き書きをして勉強ノートを作る価値がありそうだ。
クラブ組織の仕組み、契約のあらまし、クラブの健康管理などについて書かれているページを見つけてマーカーで色を塗ったり、付箋を貼ったり、受験に役立つ参考書のように扱ってもいいと思う。
もはや過去のデータとなった部分もあるだろうが、進化の過程や過ちの足跡を知ることで見えてくるものがあるし、他の競技との共通点を見つけ、比較をすることで、知識の広がりも期待できる。
新しいものばかりが提供されてはいないだろうか?
本書はクライフが率いたドリームチームからメッシが去るまでのバルサを見つめているが、偉大な古典であるヨハン・クライフを知らないファンも多くなった。寂しいことだが無理もない。もう昔の話だ。世の中に情報はあふれていて、絶えず上書きされるから人々は忙しくてなかなか古典にまでは食指が動かない。
近年は同じクラブのサポーターでも、昔からのファンと今ある姿だけに集中するファンとで美しい想い出も苦い記憶も共有できない事態が起こり始めている。歴史という話題を共有できないなんてジレンマだが、これはフットボールに限ったことではなく現代の歪みだ。新しいものばかりが提供されてはいないだろうか? 永く親しまれ、愛されるべき作品や選手も、目に触れる機会がなくなってしまえば、いずれ忘れ去られてしまう。
新しいものさえ数多く作り出せば、収益はどこまでも上がると信じ込んでいる人たちがフットボール界にもゴロゴロいて、限りあるカレンダーにスケジュールを無理やり組み込んでいく。ファンはそんなことを望んでいないと言っても彼らは耳を貸さない。
僕らはアスリートたちが鍛え上げた肉体、磨き上げた技術、奇跡のようなコンビネーション、そして限りあるエネルギーを惜しみなく使って表現したすべてのものにいつも大きな拍手を贈りたい。だから、そんな美しい時間が瞬く間に忘れ去られていくのが忍びない。
メッシのいた輝かしい時代のバルサも忘れられていく日は近いのだろうか。忘れないでいることも愛情だ。
バルサはカタルーニャにおいて『Més que un club(クラブ以上の存在)』とスローガンを明らかにしているが、リオネル・メッシのいた頃のバルサは日本のファンにとってもちょっと特別な存在だった。特にペップが指揮を執った数シーズンは強く、美しく、日本にも多くのバルサファンを誕生させた。
そしてメッシ(のユニフォームを来た人)は近所のスーパーマーケットにも現れた。バルサの選手の写真がパッケージに使われた粉末麦芽飲料や髭剃り刃が売り出され、文房具に至っては100円ショップでも売られていた。
かつてのベッカムほどの認知度はないかもしれないけれど、決してフットボール大国ではない日本の庶民生活にまで入って来た選手でありクラブであることは間違いない。
本書と実況中継とSNS上のファンに共通するもの
そんな具合に日本でよく知られるようになった頃のバルサに本書は何が起こっていたかを知る手がかりを残している。著者がリサーチしたものをファンがクラブを理解するための資料として提供しつつ、愛情ある目線でのジャーナリストの見立てを添えていく。
このアプローチは近年のフットボールファンのニーズに応えていくフットボール本のスタイルのひとつかもしれない。……
Profile
倉敷 保雄
1961年生まれ、大阪府出身。ラジオ福島アナウンサー、文化放送記者を経て、フリーに。93年から『スカパー!』、『J SPORTS』、『DAZN』などでサッカー中継の実況者として活動中。愛称はポルトガル語で「名手」を意味する「クラッキ」と苗字の倉敷をかけた「クラッキー」。著作は小説『星降る島のフットボーラー』(双葉社)、エッセイ『ことの次第』(ソル・メディア)など。