ドイツの街クラブのユースチームでは具体的にどんなコンセプトを掲げ、どんなトレーニングや活動を行っているのか
中野吉之伴の「育成・新スタンダード」第14回
ドイツで15年以上にわたり指導者として現場に立ち続け、帰国時には日本各地で講演会やクリニックを精力的に開催しその知見を還元。ドイツと日本、それぞれの育成現場に精通する中野吉之伴さんが、育成に関する様々なテーマについて提言する。
第14回は、ドイツの街クラブではいったいどのようなクラブフィロソフィを掲げ、実際のどのような練習や活動を行っているのか。『フットボリスタ・ラボ』のイベントでも披露してくれた内容の一端を紹介する。
僕がU-12監督を務めるフライブルガーFCではコロナ禍のロックダウンを利用して、自分達クラブコンセプトをより具体化するためのプロジェクトを進めてきた。
もともとはブンデスリーガ2部に所属し、1906年には当時のドイツ全国大会で優勝した古豪クラブ。だが80年代後半に3部リーグへ降格すると、そこからの失墜を食い止めることができず、一時は8部リーグにまで落ち込んでしまっていた。自分たちのスタジアムは資金難から2000年にライバルクラブのSCフライブルクへ売却せざるを得ず、その後しばらくはフライブルクのアマチュアクラブにグラウンドを借りながら転々とするジプシークラブとしての活動を余儀なくされてしまっていた。
2007年にフライブルク市内のとあるクラブからグラウンド施設を買い取りようやく新しい本拠地を手に入れたものの、育成コンセプトやクラブフィロソフィといったものはしばらく手付かず状態。
僕は当時、一度フライブルガーFCのU-16とU-18で監督を務めていたことがあったが、あの頃クラブから求められていたのは勝利だけ。“いい選手を集めて、リーグで勝て”という雰囲気しかなかった。セカンドチームの残留が少しでも危なくなると、「トップチームからいい選手を借りればいいだろ」とか、「下の年代のトップチームで試合に出ればいいだろう」と育成部長が言ってくる。それが本当に嫌で、僕は抵抗をし続け、自分のチームの選手一人ひとりを大切にし、自分たちのチーム作りを進め、結果としてリーグで好成績も残した。クラブからはU-17トップチームの監督オファーをもらったけど、僕はクラブを去ることを決意した。
復帰を決めたのは教え子たちの求め
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Profile
中野 吉之伴
1977年生まれ。滞独19年。09年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)後、SCフライブルクU-15チームで研修を受ける。現在は元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU-13監督を務める。15年より帰国時に全国各地でサッカー講習会を開催し、グラスルーツに寄り添った活動を行っている。 17年10月よりWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の配信をスタート。