でき上がった「マンチェスターで最高のレストラン」指揮官のこだわりを形にした“ペップの料理番”
重版記念『ペップ・シティ』本文特別公開#3
2020-21シーズン、CLでクラブ史上初となる決勝進出を決め、さらにはプレミアリーグのタイトル奪還も果たしたペップ・グアルディオラ率いるマンチェスター・シティ。書籍『ペップ・シティ スーパーチームの設計図』 の重版決定記念として、 本書の中から一部エピソードを特別に公開する。2人の敏腕ジャーナリストがグアルディオラへの密着取材で迫った、名将の知られざる一面や仕事術に触れてほしい。
マンチェスター ・シティの新監督として、ペップ・グアルディオラのお披露目が行われたのは2016年7月3日。新体制下でチームスタッフ入りする面々との契約も、フットボール・ディレクターを務めるチキ・ベギリスタインの管轄下で進められていた。ロレンツォ・ブエナベントゥラ(フィジカル・コーチ)、ドメネク・トレント(助監督)、ミケル・アルテタ(アシスタント・コーチ)、カルレス・プランチャルト(パフォーマンス分析担当長)とは、既に契約済み。ブライアン・キッド(共同アシスタント・コーチ)と、シャビエル・マンシシドール(GKコーチ)が精鋭揃いのスタッフに加わることも、ほぼ間違いのない状態となっていた。マネル・エスティアルテが選手のサポート部門を総括し、マルク・ボイシャサが1軍のチーム・マネージャーを務めることも決まっていた。
準備は万端。そう言いたいところだが、そうは“ペップ”が卸さなかった。
前任地のバイエルン・ミュンヘンでは、医療部門の陣容がグアルディオラにとって大きな不満の種の1つとなっていた。そこで今回は、同部門にも監督として納得できる顔ぶれを望んでいたのだった。厳選されたシティの医療スタッフには、スペイン在住だが国外でも高名なラモン・クガット医師(外部医療コンサルタント)、同医師が信頼を置く同僚で元サッカー選手でもあるエドゥ・マウリ(常駐医務長)、そしてエドゥ・アルバレス(フィジオセラピスト)らが顔を揃える。スペインのアストゥリアス州出身のアルバレスは、ダビド・シルバの強い後押しもあって、医療チームに加わることになった。
しかし、まだ埋まらずにいる重要なポストが1つ存在した。チームの栄養士だ。適任者探しが難航する中で、新監督自身も頭を抱えるようになっていた。グアルディオラは言っている。
「栄養学の専門家が必要だった。トップレベルのクラブで、選手の栄養管理に重点を置かないことなど考えられない。食生活がピッチ上でのパフォーマンスに与える影響はとても大きいんだ。体を十分に休めたり、適度なマッサージを受けたりするのと同じぐらい大切。チームの勝敗を分ける要因は無数にあるが、栄養管理もその1つだ」
最終的に候補者が3人に絞られた段階でも、新監督は納得できずにいた。そこで、問題の解決策となる人物が自ら目の前に現れる。時は2016年の10月。その人物の名前はシルビア・トレモレダだ。
彼女は、極めて自由主義的な視点を持つ経済学者として知られる、サビエル・サラ=イ=マーティンの妻。同氏は、カタルーニャ独立運動の熱心な支持者でもあり、シティの新監督とも親しい。両者の間柄は、サラ=イ=マーティンが財務部門の副会長を務めていたバルセロナで、グアルディオラ率いるチームが、国内外でタイトルをほしいままにしていた当時に遡る。2006年の7~8月は、一時的に会長と監督という関係でもあった。
グアルディオラが、充電期間を過ごすために家族と一緒に渡米した頃、サラ=イ=マーティンは、既にニューヨークを拠点として活躍していた。ほどなくして夫婦同士の付き合いが始まり、サラ=イ=マーティンとトレモレダが、グアルディオラ夫妻の子供たちを預かることも珍しくはなかった。一家がバルセロナを離れる前、長女のマリアにニューヨークでの生活についていろいろな話を聞かせ、現地での住居と学校の手配を手伝ったのもサラ=イ=マーティンだった。彼が教鞭を執る市内のコロンビア大学では、経済学の授業を受ける学生に混じって、度々グアルディオラの姿が見られた。
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