「家がないなら建ててしまえばいい」――ペップ・シティ誕生秘話
重版記念『ペップ・シティ』本文特別公開#1
2020-21シーズン、CLでクラブ史上初となる決勝進出を決め、さらにはプレミアリーグのタイトル奪還も果たしたペップ・グアルディオラ率いるマンチェスター・シティ。書籍『ペップ・シティ スーパーチームの設計図』 の 重版決定記念として、 本書の中から一部エピソードを特別に公開する。2人の敏腕ジャーナリストがグアルディオラへの密着取材で迫った、名将の知られざる一面や仕事術に触れてほしい。
ペップ・グアルディオラは、早起きをする人々がいるから世の中は絶え間なく動き続けるのだと言っていたことがある。当人は、毎朝7時半頃の起床。特別に早起きというわけではない。
家族に「おはようのキス」をすると、窓越しに眼下のマンチェスター市街を眺める。雨が降っているかどうかを確認するためだ。大抵、雨が降っている。子供たちと一緒に朝食を取り、3人を学校に送り出してから着替えをして、仕事関連の報道を一通りチェック。時間が許す日には、マンチェスター大聖堂の付近に何軒かある今風のカフェで、妻のクリスティーナと一緒に朝1杯目のコーヒーを楽しむ。
そして、出勤。シティ・フットボール・アカデミー(CFA)へと向かう。1軍のトレーニング・センターへと向かう車中では、スペインのラジオ局、『ラジオ・カタルーニャ』か『RAC』にチューニングを合わせる。いつでも、母国のニュースが気になるのだ。
グアルディオラが駐車場に車を駐める頃、まだクラブ本部は業務開始前の〝暖機運転〟中だ。受付のステイシーと挨拶を交わし、28段の階段を小走りに上って、前監督のマヌエル・ペジェグリーニから引き継いだ監督室へ。室内の壁には、就任初日に自らが記したスペイン語の格言がある。
Primer és saber què fer.(まず、為すべきことを知るべし)
Després, saber com fer-ho!(次いで、その術を知るべし)
その下には、長女のマリアが「マリア参上! 頑張ってね! ラブ・ユー!」というメッセージを書き添えている。
グアルディオラは、スタッフと物理的にも距離が近い仕事環境を好む。就任を境に、監督室のあるエリアはレイアウトが一新された。監督室内の模様替えはもちろん、フットボール・ディレクターであるチキ・ベギリスタインの秘書、アナ・レイバの専用オフィスの他、カルレス・プランチャルト(分析担当長)、ミケル・アルテタ(当時アシスタント・コーチ)、シャビエル・マンシシドール(GKコーチ)、そして1軍の選手リエゾンを務めるマルク・ボイシャサ用(マネル・エスティアルテの隣室)にも、各自の仕事部屋が設けられることになった。
パフォーマンス分析チームが使用するスペースは以前より格段に広い。グアルディオラは、彼が到着する頃には既に忙しく働いているテクニカル・スタッフの前を通り過ぎて監督室へと足を進め、自らも1日の仕事に取り掛かるのが常だ。
グアルディオラが初めてシティの練習場を訪れたのは、就任前の2016年3月。クラブレベルでの試合がない、いわゆる代表ウィーク中のことだった。続いて、同年6月3日にも足を運んでいる。CEOの職にあるフェラン・ソリアーノとベギリスタインは、これら2回の訪問を出来る限り秘密裏に進めたがっていた。クラブ内部でも、この件に関わっていた者は3名のみ。ベギリスタインの右腕に当たるホアン・パッツィー、ダビド・キンタナ(1軍選手ケア担当)、そして、当時ベギリスタインの秘書を務めていた、個性豊かなナバラ州の出身者で、“ザ・ジャーマン(ドイツから来た男)”とのコード名まで用いられたグアルディオラの訪問に際し、大切な役割を果たしたアマイア・ディアスだ。
この3名のうち、後者の2人は後にクラブを去ってしまった。ディアスは、人生における新たな方向性と冒険を求めてドミニカ共和国へと旅立っている。
キンタナは、健康上の理由で仕事を離れなければならなかった。先頭に立って、新たに加入した選手の手助けをする選手リエゾン・マネージャーの離任は、クラブにとっても非常に大きな損失だった。ベギリスタインが信頼を置く重要メンバーとして、新監督がマンチェスターでの新たな生活にスムーズに適応する上でも重要な存在だったのだ。2016年3月16日(ユベントス戦でバイエルンのCL敗退が決まった翌日)、極秘任務を負って早朝の便でドイツに飛んだのもキンタナだった。
ベギリスタインからは、こう命じられていた。
「ミュンヘンに行ってくれ。他言は無用だ。どうやら、“ザ・ジャーマン”との間に問題があるらしい」
その通りだった。ミュンヘンでのグアルディオラ一家は、静かで雰囲気の良いゾフィーエン通りの邸宅をあてがわれていたのだが、グアルディオラは、マンチェスターでも同レベルの住居を希望。その要求が叶わずに就任交渉が決裂してしまう事態が予想され始めていたのだ。キンタナは、市内のベトナム料理レストランで、ペップと3時間ほどのランチ・ミーティングを持つことになった。クリスティーナと3人の子供たち、そしてグアルディオラの代理人であるジョゼップ・マリア・オロビッツと彼の妻ヌリアも同席していた。リラックスした雰囲気の中で昼食をとりながら、シティの組織、設備、既存戦力といった重要事項について次々と意見が交わされた。しかし、マンチェスターでの住居問題だけは未解決のままだった。
不安に駆られていたベギリスタインは、キンタナが戻るや否や詳細な出張報告を求めた。
「それで、何と伝えてきた?」
「真実をありのままに。そんな物件をマンチェスターで見つけることは基本的に不可能です、と」
問題は、ペップが市内中心部というロケーションを譲らないことにあった。その立地条件で彼を納得させるような物件など、見つかるはずがなかった。そもそも存在していなかったのだから。
ベギリスタインは、自らの構想が脆くも音を立て崩れ去っていくような心境だったことだろう。グアルディオラ招聘の雲行きがが怪しくなった。だが、キンタナは依然として前向きだった。
「でもこう伝えました。『心配はいりません。いざとなれば、条件に合った住宅を建ててみせますよ。用意できるまでに2、3カ月ほど余計に時間がかかるかもしれませんが、最終的には納得してもらえるようにします』と」
そこで、グアルディオラ一家は、マンチェスター市内のディーンズゲイト沿いあるマンションに仮住まいしながら、新居の完成を待つことになったのだった。「2、3カ月」よりも少し長く待たされることにはなったが、無事に入居の日は訪れた。……