10月5日に閉まったスペイン移籍市場。その余波にアスレティック・ビルバオが揺れ続けている。
理事会から“待った”
最終日にアスレティックがフェルナンド・ジョレンテを獲得するのは確実に思えた。アルコルタSDはこう証言する。
「選手たちは私に『ジョレンテを連れて来られるか』と聞いてきた。彼らもチームにとって必要な戦力だと考えていたわけだ」
その願いに耳を傾ける形で動いたアルコルタは、ナポリとの契約更新を拒否していたため移籍金はゼロ、年俸200万ユーロという破格の安さでジョレンテと合意に達していた。
11歳から在籍した古巣でキャリアの最後を過ごしたいというジョレンテの愛と、クラブとチーム、ファンの願いは完全に一致。戦力的に考えても、FWウィリアムスがゴール不足に苦しんでおり、4試合を消化し得点はわずか2、勝ち点3で19位に沈んでいるチームにとって、実績ある点取り屋の補強は“渡りに船”のはずだった。
しかし、5日夕方になって当のアスレティックの理事会がこのオペレーションに“待った”をかけた。その理由は、2013年にユベントスへ移籍した時のやり方が強引で、そのことを今も恨んでいる理事が多数いる、というものだった。
2012年夏、ジョレンテに契約更新の意志がないことをクラブが公にし、彼は世論を敵に回すことになった。12月にジョレンテ本人が契約更新をしないことを認め、翌2013年1月にユベントスがシーズン後の獲得を発表。6月末の契約切れを待ち、7月1日に自由契約となったタイミングで正式移籍が成立した。
お世話になったクラブに移籍金を1円も残さないこのやり方を、“恩知らず”と捉える者がフロントには今も相当数いる、ということだ。
現代サッカーとは一線を画す
選手の移籍にウェットな感情が介入するのは、いかにもアスレティックらしい。
2012年夏にハビ・マルティネスがバイエルンへ移籍した際にも、4000万ユーロの契約解除金を満額支払っての移籍であったにもかかわらず裏切り者扱いをされ、ロッカールームの私物を持ち帰るのに、深夜練習場に忍び込まなければならなかった、というエピソードを覚えている人もいるかもしれない。
ご存じの通り、このクラブはバスク地に生まれ育った(育成された)者しか加入できない、という「属地主義」(「純血主義」というのは誤り)を貫いている。郷土愛がクラブ愛の源にあるわけで、その点で、ビジネスとしてWin-Winなら放出や獲得をためらわない、という現代サッカーのドライさとは一線を画しているのだ。
この破談によってジョレンテは選手登録をしてもらえず、ナポリでのプレーもできなくなった。当てにしていた戦力を失ったガリターノ監督と、面子を潰されたアルコルタSDの両者には、辞任の噂も出ている。
Photo: Getty Images
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。