先週末、世界的なプレーメイカーが西ロンドンで華々しいデビューを飾る中、ノースロンドンでは左利きのゲームメイカーがピッチに立つことさえ許されなかった――。
リバプールに加入したMFチアゴ・アルカンタラは、チェルシー戦で後半から投入されると即座にゲームをコントロールした。後半の45分間だけで、フル出場したチェルシーのどの選手よりもボールに触ったという。75本のパス成功数は、プレミアリーグにおいて出場時間45分以内の記録だという。
慢性化する足首のケガ
そんなチアゴとは対照的に、土曜日のアーセナルvsウェストハムではベンチにも入れなかったプレーメイカーがいる。そう聞くと、恐らく大半の人は「メスト・エジル」の顔を思い浮かべるはずだ。しかし、ここで筆者がチアゴと比較したいのはエジルではない。もう一人の左利きプレーメイカーだ。
一時は“イングランドの未来”とまで称されたジャック・ウィルシャーのことである。28歳になった元イングランド代表は、慣れ親しんだアーセナルを離れて2年前からウェストハムに所属している。今回は古巣との対戦になるはずだったが、先週の練習中に足首を負傷して離脱を余儀なくされたのだ。
過去に本誌でも紹介したが、ウィルシャーのキャリアは足首のケガとの戦いでもある。ウェストハムでも過去2年間で出場したのは18試合だけ。最後に代表戦でプレーしたのは4年前のことになる。そう考えると、もう終わった選手なのかもしれない。
では、なぜ今さら彼を引き合いに出すのか。それは、少なくとも9年前には両選手を比較する名将がいたからだ。
名将ペップも才能を認めた
アーセナルファンは恐らく覚えているはずだ。2011年2月のUEFAチャンピオンズリーグのラウンド16、当時19歳のウィルシャーはシャビやイニエスタを擁する最強バルセロナの中盤を翻弄し、チームを2-1の勝利に導いたのだ。
セカンドレグを前にウィルシャーについてコメントを求められたバルセロナのグアルディオラ監督は「一流の選手だ」と前置きした後で「彼は幸運だよ。我われのセカンドチームには彼のような選手がゴロゴロいる。彼が試合に出られるのは、アーセナルにタイトル獲得の重圧がないからだ」と言い放った。
当時、筆者はそれがペップの皮肉だと思った。しかし、スポーツ専門サイト『The Athletic』によると、実際はそうでもないようだ。ペップは本当にウィルシャーを評価していたという。その証拠に、ペップが語った“セカンドチーム”の選手の1人が、他の誰でもなくチアゴだったのだ。
後にシャビもアーセナル戦を振り返り、「ペップは昔からウィルシャーを評価していた。あの2011年の試合で、彼は私たちを驚かせたからね。ペップと彼について話したこともあるよ」と明かしたそうだ。
だが、度重なるケガによりウィルシャーは輝きを失っていった。ウィルシャーは本当にチアゴと並ぶ才能だったのか? 2010年に同選手をローン契約で獲得したボルトンのオーウェン・コイル元監督は「本当に世界的選手になるはずだった。それだけは確かだ」と『The Athletic』に語った。
単なるテクニシャンではなかった
2012年から2018年までアーセナルでコーチを務めたニール・バンフィールドも「18歳のウィルシャーと18歳のセスク・ファブレガスに差はなかった。使い古した言葉だが、世界は彼の手の中にあった」と同メディアに証言した。
確かにウィルシャーは単なるテクニシャンではなかった。常に戦う姿勢も持ち合わせていた。そのせいでケガが多かったのかもしれないが、コイル監督はあるエピソードを明かした。
ボルトンでの練習初日、当時チームのエースだったFWケビン・デイビスが、試す意味でウィルシャーにタックルをしたという。すると数分後、18歳のウィルシャーは迷うことなくやり返し、チームメイトの信頼を勝ち取った。
ケガさえなければ間違いなく「イングランドの未来」だったと誰もが口をそろえる。それがウィルシャーという早熟な才能だった。
そう思ってチアゴのプレミアリーグデビュー戦を見返すと、圧倒的なうまさとプレー精度には改めて感心させられるが、記憶の中にあるジャックの“ワクワク感”に比べると、少しと色あせて見えてしまう。
Photo: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。