リヨンの女子チームが、ボルフスブルクを破って7度目のUEFA女子チャンピオンズリーグ王者に輝いた。2016年から堂々の5連覇。フランスメディアは「CL5連覇は、偉大なるアルフレッド・ディ・ステファノを擁したレアル・マドリーの記録に並んだ」と彼女たちの功績をたたえている。
スーパーゴールで勝利に貢献
ボルフスブルクはこれまで決勝で4回対戦している因縁の相手だが、近年はリヨンが3連勝中だ。
ちなみに、リヨンの男子チームは準決勝でバイエルンに敗れて大会を去ったが、その2日後、女子チームが準々決勝でこのドイツのビッグチームを2-1で破り仇を取った。
また、準決勝で対戦したのはパリ・サンジェルマン(1-0)。今シーズンは男女そろってリヨンとPSGがCLでベスト4入りしたわけだ。
8月30日、スペインのサンセバスチャンで行われた決勝戦では、リヨンは今シーズンのチームのトップスコアラー2人、アーダ・ヘーデルベルグとニキータ・パリスが負傷と出場停止で欠場という厳しい状況に置かれた。
しかし、クラブの歴代得点王であるユージェニー・ルソメールが貫禄を見せ付ける。右足で蹴ったシュートをGKに跳ね返されたリフレクションを左足で押し込むという、なんとも見事なゴールで25分に先制した。
そして、前半終了間際という重要な時間帯に、勝負の行方を大きく左右する貴重な2点目を挙げたのは、熊谷紗希だった。
ペナルティーエリアの外、約25mの距離から、相手がクリアしたボールをダイレクトで叩き込むスーパーゴール。
後半に1点を返されたが、1点を奪い返し、リヨンが3-1で勝利をものにした。
熊谷は、PK戦に突入した2016年のボルフスブルクとの決勝戦でも、これが入ればリヨンの優勝、という決定的なPKを決めて自軍を勝利に導いている。
「ゴール数が多いわけではないが、熊谷は常に決め時を知っている」と『レキップ』紙も絶賛していた。
女子サッカー界では別格
リヨンの女子チームは、男子なら冒頭に挙げたRマドリーやバルセロナのような、世界中のプロフットボール選手が「一度はプレーしてみたい」と究極の目標に掲げるトップ中のトップだ。
メンバーも精鋭ぞろいで、世界最強アメリカ代表のメーガン・ラピノーやアレックス・モーガンもかつて所属していた。
現在のエーススコアラー、ノルウェー代表のアーダ・ヘーデルベルグは、2018年に新設された女子版バロンドールの初代受賞者だ。もちろん、国内で頭角を現した選手も、みなリヨンを目指す。最近ではPSGもレベルを上げているが、女子サッカー界でのリヨンの存在は別格なのだ。
その分、要求も厳しい。
格下チームには10点以上の差を付けて勝つことも珍しくないが、逆にそうした相手に2、3点差で勝利した時は、たとえ勝ってもオラス会長から「今日のふがいない試合はなんだ!」と雷が落ちる。勝ち星だけでなく、常に「リヨンにふさわしい」結果が求められるのだ。
そんな超強豪チームで主力としてプレーし続けることは並大抵ではない。リヨンのベンチメンバーなら、他のどのチームでもレギュラー確定と言われるレベルだ。
地元メディアも高評価
2012-13シーズンに所属していた元なでしこジャパンのストライカー、大野忍も当時、「試合よりもチーム内での練習のほうが厳しい」と話していた。前述のラピノーやモーガンも短期間でチームを去っている。
その中で熊谷は、2013年にフランクフルトから入団して以来レギュラーに定着し、リヨンが求めるサッカーをプレーする上で重要な役割を担っている。
最初はフランス代表の主将でもあるウェンディ・ルナールとCBでコンビを組んでいたが、現在はより広い範囲でゲームに影響力を及ぼすアンカーだ。
フランスメディアからの評価も高い。
『ル・モンド』のような全国紙や、パリの地元紙『パリジャン』などでも取り上げられ、フランスで女子サッカーを見る人なら彼女を知らない人はいない。
ファイナル8の前には、リヨンの地元紙『ル・ブログレ』にインタビューが掲載されていたが、その中で熊谷は「自分は周りの選手を輝かせるプレーをしたい」と話していた。“周りをより良く動かせる能力”は熊谷の代名詞であり、「リヨンを支える縁の下の力持ちは熊谷」とさえ評されている。
加えて、今回のように大事な試合で得点を挙げるような決定的な仕事もやってのけるし、試合だけでなく、彼女のトレーニングの取り組み方にも周りの選手たちは感化されていると、前にスタッフから聞いた。
自国で多くの優秀な人材が輩出される中、CLで5連覇を果たしたチームで外国人選手が主力を張り続けるのは相当なこと。チームメイトや指揮官から絶大な信頼と尊敬を集める熊谷紗希は、本当にすごい選手だ。
Photo: Getty Images
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。