今年のアカデミー賞は、90年以上の歴史の中で初めて作品賞に非英語映画(韓国映画の『パラサイト 半地下の家族』)が選ばれて話題となっている。そんなアカデミー賞とサッカー界は無縁に思えるが、過去には元サッカー選手がオスカー像をもらったことがある。
カントナらも俳優として活躍したが……
1987年に『アンタッチャブル』で助演男優賞を受賞したショーン・コネリーは、若かりし頃にスコットランドのクラブからオファーを受けたことがあるそうだが、既に23歳だったので役者の道を選んだという。そのため、彼の場合は“元選手”の枠には入らない。
役者に転向して最も話題になった元選手と言えばエリック・カントナだろう。フランス代表やマンチェスター・ユナイテッドで活躍したカントナは、引退後に数多くの作品に出演しており、アカデミー賞で7部門にノミネートされた1998年公開の『エリザベス』にも登場した。しかし、同作品が受賞したのはメイクアップ賞だけだったし、もちろんカントナが受け取ったわけでもない。
元ウェールズ代表DFビニー・ジョーンズも役者として存在感を発揮している。映画版『アラジン』を指揮したガイ・リッチー監督の作品に何度も起用されたほか、邦画『SURVIVE STYLE 5+』にも登場している。しかし、選手時代からの“悪役”キャラを生かして犯罪者や殺し屋の役を演じることが多く、アカデミー賞とはおよそ縁がない。
それでは、オスカー像を手にした元選手とは誰なのか。その答えは、1960年に脚色賞を受賞したニール・パターソンである。脚色賞とは小説や劇などから脚本を起こした人間に送られる賞で、パターソンは『Room at the Top(邦題:年上の女)』という、6部門にノミネートされた作品で受賞した。
脚色賞受賞で名作の12冠を阻止
スコットランド出身のパターソンは名門エディンバラ大学で法律を学び、弁護士を目指しながら大好きなサッカーを続けた。そして1930年代にスコットランド2部のプロクラブであるダンディー・ユナイテッドでプレーした。スコットランドの『デイリー・レコード』紙によると、彼はキャプテンまで任されたもののプロ選手になることは拒否し、その後はフットボール記者を目指したという。
第二次世界大戦後は小説家として活躍し、国内外で高い評価を受けるようになった。そして『Room at the Top』の映画用の脚本を任され、見事にアカデミー賞を受賞したのだ。
これだけでも快挙だが、注目すべきは同作品がオスカーを争ったライバル作品である。これまでアカデミー賞の最多受賞記録は11部門で、過去に3作品ある。2004年の『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』、1997年の『タイタニック』、そしてもう1本が、パターソンと脚色賞を争った『ベン・ハー』だ。同作品は12部門にノミネートされ、そのうち11部門で受賞した。言い換えれば、誰もが知る不朽の名作の単独最多となる12冠を阻止したのがパターソンということだ。
こうして映画史に名を刻むことになったパターソンだが、アカデミー賞の会場には姿を見せなかったという。それどころか、彼は授賞式の当日、アメリカにさえいなかった。
スコットランド人らしく謙虚で実直、それがパターソンだった。彼の息子によると、授賞式の翌日に電話をもらい、そこで初めて受賞を知ったという。その後は執筆業の傍ら、英国映画協会や国立映画学校の代表を務めるなど後世の映画界の発展に貢献し、1995年に79歳で生涯の幕を閉じた。
アカデミー賞よりもダンディー・ユナイテッドで主将を任されたことの方が誇らしかったというパターソン。だからなのか、黄金のオスカー像をドアストップに使っていたそうだ。
Photo: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。