11月24日のリーグ1第14節ではトゥールーズvsマルセイユ戦が行われた。試合はマルセイユが0-2で勝利し、酒井宏樹は先発フル出場したが、残念ながら昌子源vs酒井の日本人DF対決は実現しなかった。右足首を負傷している昌子は、代表ウィーク明けのこの試合の頃には復帰するかと思われていた。しかし、まだ痛みが完全に引いておらず、しばらく慎重に経過を観察することになったのだ。
開幕直前に負傷、復帰戦でも負傷……
今シーズン、これまでの昌子の歩みを振り返ろう。
昨シーズンまで3年間、DFラインを統率したクリストファー・ジュリアンが夏の移籍市場でセルティックに移籍したこともあり、今シーズンは昌子に守備の要としての期待が寄せられていた。主力としてプレシーズンマッチを重ね、新たにロシアリーグから加わったウルグアイ人DFアグスティン・ロヘルとのコンビネーションも向上していたが、開幕直前に行われた最後のプレシーズンマッチのノリッジ戦で左脚腿裏の腱を痛めてしまう。
そして、開幕戦から欠場することになった。
負傷から約1カ月が経過し、9月の第6節ニーム戦ではメンバー入りするまでに回復。次の第7節アンジェ戦で先発メンバー入りし、9月25日のこの試合が昌子の今シーズン開幕戦となった。
相手の動きを読む的確なポジショニングや、相手FWの突破を激走からのタックルで食い止めるファインプレーを連発した昌子。きっとトゥールーズのファンも「ここから頼むぞ、昌子!」と思っていたはず……なのだが、前半戦終了前、ジャンプした際に右足首をひねってしまう。
せっかく復帰したと思った矢先のケガ。昌子の無念さは想像にかたくない。
その後は治療に専念することになるのだが、その間になんと監督交代という事態が発生する。第9節のボルドー戦に敗れて18位に転落という成績悪化も要因ではあるが、脅迫メールを受け取ったことを理由に、アラン・カサノバ監督が辞任。後任には、これまでパリ・サンジェルマンやランス、ギャンガンなどを率いたアントワーヌ・コンブアレ監督が就任した。
それからまた1カ月が経ち、11月の代表ウィーク直前のモンペリエ戦の時期には、そろそろ全体練習に復帰できるか、というところまで回復した昌子。しかし実際にトレーニングをしたところ、また痛みがぶり返してしまった。
新監督は選手のコンディションを何より重視
スタッフによれば、自身も元選手であるコンブアレ監督は選手のコンディションを非常に尊重する指揮官であるらしく、「少しでも痛みがあるなら無理はさせない」というのが彼のポリシーであるという。
現在の昌子は、時折ボールを使った軽い練習を取り入れつつ、別メニューで徐々に調整している状態だ。
奇遇と言うべきか、CBでコンビを組むはずのロヘルも開幕戦で鎖骨を骨折し、第2節から欠場していた。そのロヘルは、ようやくこのマルセイユ戦で復帰した。彼が戻ったことで、メンバー的にもなんとか回せる状況になってきたため、昌子については焦らずじっくりと全快を目指す方針であるようだ。あと5試合でクリスマス休暇に入るため、無理して復帰させるのではなく、年内いっぱいを療養に充てる可能性もあるとのことだ。
とりわけ、雨の多いこの季節は、ピッチもぬかるんで足首に負担がかかりやすい。無理をさせず慎重を期すほうが、かえって後々のためにもなる。
選手にとっては、自分の能力を評価してクラブに招き入れてくれた指揮官が去るというのは大きな出来事だ。しかも、ちょうどその時にケガでプレーできない状態にあるとなれば、「自分の真価を発揮しなければ」と焦る気持ちになるのも当然だ。
だが、クラブスタッフは「そこは昌子もさすが経験豊富な選手。冷静に、まずはケガを治すことを最優先課題として取り組んでいる」と話している。
コンブアレ監督は、現役時代は昌子と同じセンターバックだった。昌子が優れた選手であるかどうかというより、監督が求めるタイプかどうか、というところは今後慎重に見極められるところだが、加入してからの彼のプレーを見ても、トゥールーズのDFラインに昌子がいることは、確実にチームに利益をもたらしている。
2018年は鹿島アントラーズで12月のクラブW杯までフル稼働し、休暇もそこそこに1月初旬にトゥールーズに加入すると、1月19日のニーム戦から最終節まで全試合フル出場という非常に濃密なシーズンをこなした。コンディションのバランスを取るためにも、ここでしっかり調整することは大切だ。
新監督が選手のコンディションを何より優先している、というのは、何よりありがたい要素。「メディカルチームと監督の(方針についての)ベクトルが同じ方向を向いているというのは非常にやりやすいし、選手にとっても望ましいことだ」とスタッフも話していた。
紫色のユニフォームで果敢にボールを追う昌子の姿が見られることを心待ちにしたい。
Photo: Getty Images
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。