「出来の悪い子ほど可愛い」という親心があるのなら、フットボールにも同じようなことが言えるかもしれない。活躍しなかった選手ほど、その後が気になったりするものだ。
英国メディアで「過去最低の補強」といった特集記事を頻繁に目にする。そのクラブの補強選手で最も失敗に終わった者をやり玉に挙げる企画だ。これのアーセナル特集で常連として名前が出てくるのが、元スウェーデン代表(131キャップ!)のMFキム・シェルストレームである。
シェルストレームは、2014年1月の移籍期限最終日にスパルタク・モスクワからローン加入。しかしアーセナルではケガもあり公式戦わずか4試合(うちスタメンは1回)にしか出場できずに退団した。それでも本人は、忘れられない思い出だったと、後にスウェーデンのラジオで明かしている。
移籍期限最終日に、何があったのか
実際に何があったのか、少し振り返ってみよう。2013-14シーズン、アーセナルは10年ぶりのリーグ制覇を狙える状況にあった。12月を迎えた段階で2位以下に4ポイント差をつけて首位。年末に少しつまずいたとはいえ、それでも1月末の時点で首位マンチェスター・シティを1ポイント差で追う2位につけていた。だから補強は不要だと考えられていた。
しかし、状況が急変する。1月末の試合でMFマテュー・フラミニが3試合の出場停止処分を受けてしまう。MFジャック・ウィルシャーは故障がちで相変わらず計算できない。さらに、太もものケガから復帰予定だったMFアーロン・ラムジーが負傷を再発させてしまったのだ。そのためアーセン・ベンゲル監督は、移籍期限ギリギリになってセンターMFの補強に乗り出した。
スパルタク・モスクワのUAE合宿に参加していたシェルストレームの元に、代理人から電話がかかってきたのは移籍期限最終日の前日だったという。プレミアリーグのクラブにローン移籍したいかと聞かれたシェルストレームは「ノー」と断ったのだが、それがアーセナルだと知り前言撤回。「イエス!」と言い直したという。
英国の移籍期限最終日の報道合戦は激しい。そのため、シェルストレームもロンドンのヒースロー空港からアーセナルに向かう途中、わざわざ車を乗り換えてマスコミの目を欺いたという。そしてメディカルテストを受けたのだが、そこで問題が発覚した。レントゲン撮影で、腰に小さな亀裂が見つかったのだ。
そこには人生最良の15分があった
レントゲンの写真を囲みながら、シェルストレーム、フィジオ、クラブ役員、そしてベンゲル監督の4名は沈黙に陥った。最終決断は“ボス”に委ねられたという。するとベンゲルが「あと数時間で移籍市場が閉まる。君を獲るか、誰も獲れないかだ。我々は君を獲得する」と英断した。
これが、冬の移籍市場にケガ持ちの選手を獲得した真実だったのだ。その後、シェルストレームは3月に復帰するが、直後にラムジーも戻ってきたため出番が限られた。結局チームも後半戦に大失速し、最終的には4位の定位置に甘んじた。
それでもアーセナルは9年ぶりのタイトルを獲得したし、シェルストレームもそれに貢献した。FAカップ準決勝のウィガン戦、シェルストレームは延長戦の途中から投入されると、PK戦で2本目のキッカーを任されて見事に決めた。後に彼は「120年のクラブ史において僕の貢献なんてちっぽけだけど、あれは人生最良の15分間だった」と振り返った――。
シェルストレームはその後、2017年に母国スウェーデンのユールゴーデンで現役を引退。現在36歳の彼は、TV解説者として国内で活躍しているという。
Photos: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。