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ローマOBがイタリア帰還で監督に。しかしファンから思わぬ反発が……

2019.08.08

2000年代のセリエAを彩った男が

 衛星TV『スカイ・イタリア』は6日、セリエDのフォッジャがマンシーニと新シーズンの監督就任に合意したと報じた。2000年代にローマやインテルで活躍したあの人物だ。

 『マンシーニ』ことアレッサンドロ・ファイオリ・アマンティーノは2003年、アトレティコ・ミネイロからローマに移籍した。半年間ベネツィアにレンタルへ出されたのち、2003-04シーズンからローマで稼働。ミランに移籍したカフーの後釜としての役割を十分以上にこなすと、2005年からはルチャーノ・スパレッティ監督の下で大ブレイク。2008年から、ウイングを欲していたインテルへ移籍。もっともここでは期待されたほどには活躍ができず、2010年の冬にはミランにレンタルで移籍する。インテルに再び戻った後の2011年冬、古巣のアトレティコ・ミネイロへ完全移籍。そこからブラジルでは3シーズンほどプレーし、2016年に現役を引退した。

 その彼が指導者に転身、しかもイタリアでキャリアを始めるというのは不思議に聞こえるかもしれない。だが引退後、イタリアに戻ってコベルチャーノのトレセンで指導者ライセンスの取得に励んでいたのだ。イタリア国籍を持っており、セリエAでの充分な実績があれば受講資格は得られる。そして2019年5月、UEFA PROマスターの指導者ライセンスをゲット。全てのカテゴリーでサッカーを指導できる資格を得たマンシーニにフォッジャが接触し、指導者キャリアを始めるチャンスを与えた。フォッジャといえばあのズデネク・ゼーマンや、サッスオーロで攻撃的なサッカーを展開しているロベルト・デ・ゼルビが腕を振るったところ。マンシーニも「そういうところでキャリアを始められるのは光栄」と意欲に燃えている。

しかし、思わぬ反発の声が……

 だが、この人事は思わぬ反発を受けている。「フォッジャがマンシーニの監督就任を検討中」というニュースが流れた後、フォッジャの地元ファンからは反対の声が上がったのだ。理由はマンシーニが2011年11月、婦女暴行および傷害の罪で刑事告発され、第一審で懲役2年8カ月の有罪判決を言い渡された経緯があることだ。

 2010年12月、ロナウジーニョの主催したパーティーで知り合ったブラジル人女性に対し暴行を働いたとの容疑で告発を受けた。裁判が行われた当時すでにブラジルにいたマンシーニ自身は、関係は認めたものの「合意の上だった」と主張。結局イタリアに戻れていることから、上告で主張が認められ前科はつかなかったものと推測される。しかしその後の続報が止まっていたからなのか、それともファンが過去を許さないという姿勢からなのか、「有罪判決を受けた人間はNO」「レイプ野郎は監督になるな」などという非難もSNSなどでは上がっている。

 フォッジャのロベルト・フェレカ会長は『コリエレ・デッラ・セーラ』の取材に対し、「第2審以降がどう推移したのか把握していないが、代理人からは『彼に前科はなく潔白だ』と聞かされた。のちに説明があるだろう」と答えた。就任早々の記者会見では早々に、過去についての説明を迫られることになりそうだ。

Photo: Getty Images

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セリエAフォッジャマンシーニローマ

Profile

神尾 光臣

1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。

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