他に選択の余地はなかった
ミランのFWパトリック・クトローネが27日、ボストンの合宿から急遽離れた。クラブはプレミアリーグのウォルバーハンプトンと移籍について合意した。契約は2023年までで、ミランには1800万ユーロ(約22億円)の移籍金ならびに400万ユーロ(約5億円)の成功ボーナスが支払われることになるという。幼少の頃に育った地域のサッカークラブであるパレディエンセから、ミランの下部組織に移った時の”違約金”は1500ユーロ(約18万円)だった。そこから日本円にして26億円以上もの価値を創出して収入にできたのだから、クラブ経営の観点から見れば大成功だろう。
もっとも、それを受け入れるクトローネの心境は違うようだ。家族の犠牲のもと、8歳の時からミランの練習場に通い、通算110ゴールと下部組織の選手としては歴代最高の成績を挙げてトップチームに引き上げられた。そんな選手がクラブの決断をどう受け止めたかは容易に想像がつく。30日付の『トゥットスポルト』はこう伝えている。
「他に選択の余地を与えられることもなく決断を迫られたクトローネは、目に涙をためてミランとミラネッロを後にする。最初にクラブ幹部と会談を持ったそのときから、ミランの下部組織出身の男は自分に対するある種の冷淡さを理解し、このまま続けるのは難しいと判断した」
彼はパオロ・マルディーニTDやマルコ・ジャンパオロ監督らとも話し、なんとか考えを変えてもらえるように動いたものの、結局ウルブズのオファーを受けることに納得せざるを得なくなったという。
「ミランにも思いはあるけれど」
「がっかりしてるかって……? そりゃ見りゃわかるってやつだ」
そして29日、クトローネはミラノ・マルペンサ空港から旅立った。詰め掛けた地元メディアに対し、彼はこう答えた。
「何も言うことはないよ。僕はいっつもやる気は保っているつもりだし、準備もできているつもりだ。ミランのサポーターのみんなからメッセージをもらったけど、心を動かされたよね。何かポジティブなものは残せたってことなんだから。ミランにも思いはあるけれど、あっちに行って馴染み、いい活躍がしたいなって思うだけさ」
17-18シーズンは、 ニコラ・ カリニッチやアンドレ・シルバらを差し置いてチームで最も得点を稼いだCFとなり、若いながらも混乱するチームを支えた。新時代のクラブの象徴になれる若者として人気を集めはじめていた選手を放出することになるとは、皮肉なものである。
地元紙では、ミランが3500万ユーロ(約42億円)の移籍金を準備して、リールからFWラファエウ・レオンの獲得を狙っているともっぱらの噂だ。一方で『コリエレ・デッロ・スポルト』では「レオンよりひとつ年上のクトローネがボーナスも含めて2200万ユーロ(約27億円)の値付け、というのは少なすぎるのではないだろうか」と批判されている。
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Profile
神尾 光臣
1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。