「全ての人に尊重をしていただけていなかった」
13日、ボローニャの練習場で記者会見を開き、急性白血病に罹っていることを公表したシニシャ・ミハイロビッチ監督。その会見の出だしは、なんとこういうものだった。
「私は最初、ファンの皆さんには私の口から表明させて欲しいとチームにも記者の皆さんにもお願いしていたはずだった。しかしながら、全ての人に尊重をしていただけていなかった。新聞をたかだか100部、200部多く売るために、20年来の友情をぶち壊しにするのは正しいことではないと思う」
ことの始まりは12日の深夜、「コリエレ・デッロ・スポルトが、ミハイロビッチが重篤の病に陥り、長期の治療が必要になったというスクープ記事を出す」という情報が流れたことだ。
同監督はイタリア北部カステルロットでの合宿が始まる11日、「風邪で熱があること」を理由に欠席。ただその後も合流の遅れは続く。ローカルメディアの間では「ミハイロビッチがボローニャの大学病院で検査を受けていた」という情報も出回っていたが、大半のメディアは「まず自分の口から表明させてほしい」と言った監督の希望を尊重し「健康上の問題で、合流日は監督やチームが改めて考慮する」という表現にとどめていた。だがそこに、スクープを企てたのが一社。病状こそ明かさないものの「戦士は新たな闘いに挑む。彼は数日間立ち止まって、この闘いを早く克服することを表明するだろう」などと社説で堂々と書かれていた。
11日の欠席は発熱ではなく、ボローニャ市内の大学病院で検査を受けていたというのが実情だったのだ。「合宿に行かなかった理由を、どういうふうに妻に伝えたらいいのか一番悩んだ。熱だなんて言ったら絶対怪しまれる、高熱なんて20年出したことなかったんだから」。本人もアリアンナ夫人にどう病状を伝えようか思い悩んでいたという。必要な情報を開示した後、家族も含めてそっとしてもらうことを望んでいたミハイロビッチの意思に反するスクープ。コリエレ・デッロ・スポルトの編集長イバン・ザッザローニ氏は翌日、社評の中で「友人ではなくジャーナリストとして行動したつもりだったが、今初めて後悔をしている」と謝罪の意を述べた。
さて今回の病だが、チームドクターならびにクラブ併設のメディカルセンターの責任者であるジャンニ・ナンニ医師は「フィジカルのチェックで発見されたものだ」と発表した。バカンスが明けてチームに合流後、腰の痛みの検査のためMRI(磁気共鳴式検査)を施したところ、骨髄の異常と見られる兆候を発見。その後、大学病院で検査をしてもらった結果、急性白血病が発覚したのだという。
さらにナンニ医師は、現時点で白血病の症状が出ていないことを表明。「熱だとウソを言ったのは申しわけなかったが、今は何もない。(腰の痛みも)バカンス明けのスポーツマンにとっては当たり前のことだった」と強調し、「20年前なら望むべくも無かったが、治療法が進んだ今は短期間で治り得るし、バラ色の将来も期待できる。体の面でもメンタルの面でも、監督は前よりも強くなる」と力強く宣言していた。
もっとも会見時の時点で、どういう性質の白血病なのかまでは明らかになっておらず、従って全治までの期間は出ていない。16日から早速入院し治療に入るミハイロビッチ監督は「火曜日を待ちわびている」と、試合前のようにたとえて自らを奮い立たせていた。
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Profile
神尾 光臣
1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。