「いくばくか気持ちが軽くなった」
4月16日、約4年半に渡ってヘルタ・ベルリンを率いたパル・ダルダイ監督が、今季終了後にチームから退くことが公式に発表された。発表から3日後の4月19日、地元ベルリンの各紙との談話の中で、「いくばくか気持ちが軽くなった」とダルダイ監督は本音を明かした。
3月2日のホームでのマインツ戦(2-1)を最後にリーグ戦5連敗。今季の1部残留は決定的、目標としていた欧州カップ戦出場権獲得も実質不可能になり、新たなモチベーションを見つけるのが難しい状態に陥ってしまっていたのだ。
元ハンガリー代表選手でもあり、ヘルタのレジェンドでもあるダルダイがトップチームの監督となったのは、2015年の2月。降格の危機にあったクラブは、ハンガリー代表とヘルタのU-15チームの監督を兼任していたダルダイに白羽の矢を立てた。1997年の1月に20歳でベルリンにやって来て以来、ヘルタ一筋の男に賭けたのだ。
残留を果たしたクラブは、その後ヨーロッパリーグに参加するまでの成長を遂げ、下部組織からの生え抜き選手が定期的に主軸になるなど、クラブの安定化に貢献した。
その功労者の解任の噂が流れ始めた4月中旬、ダルダイは自身の運命を予感するような談話を『シュポルトビルト』誌に行っている。
「もし、選手たちがダルダイに魅力を感じないようなら、私は去らなければならない」
選手としても長いキャリアを誇るダルダイは、監督交代に至るロッカールームの中での動きも熟知している。豊富な経験を経て培った皮膚感覚を通じて、自身の”辞めどき”を感じていたのかもしれない。
「監督が去らなければならないときは、大抵の場合、マネージャーや会長から動き出すことはない。監督の進退を決めるのは、いつも選手なんだ」(ダルダイ)
チームの安定とマンネリ化は紙一重
ダルダイは選手時代を振り返りながら、選手の目線から監督交代に至るまでの流れも説明した。「監督がクビになるときは、チーム全体の意見が一致していた。選手たちは皆で『オレたちはどうする?』とお互いに話し合うんだ。そうして、監督に対して不支持を示すサインが出るようなら、遅かれ早かれ、その監督はチームから去るのさ」。
退任の発表後、自身の状態に対して冷静に評価を下すダルダイに比べ、感傷的になっていたのは選手たちだった。ヘルタでドイツ代表にまで成長したニクラス・シュタルクは、「監督は、称賛を受けるに値する仕事をしてくれた。シーズン終了後には、彼のためにパーティーを開くよ。そのためには、コーチングスタッフを気持ちよく送り出すために、勝ち点を取らないといけない」と話す。
選手たちから支持を受けながらも、終盤はモチベーションの維持に苦しんだダルダイ監督。その姿は、チームの「安定化」と「マンネリ化」の境界が紙一重であることを示している。
「毎日、非常に大きなエネルギーが必要だったことに気づくんだ。去年、一度言っただろう。『たぶん、キツイ仕事になるだろう』とね。(退任が決まった)今は、いくばくか気持ちも楽になったし、休養が必要なんだ」
重責から解放されるダルダイは、どこかホッとしたような表情を見せていた。
Photo: Getty Images
Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。