孤独や“家族”への想い…名将ミケル・アルテタ、自らの原点を語る
20年ぶりのプレミアリーグ制覇を目指すアーセナルの指揮官が自身の原点について明かした。
2ポイント差で首位マンチェスター・シティを追うアーセナルは、5月19日(日)に行われる最終節で逆転Vを目指す。もし頂点に立つことができれば、名将アーセン・ベンゲルの下で無敗優勝した2003-04シーズン以来のこと。数年前には優勝争いはおろか、トップ10に入るのでさえ精一杯だったクラブをここまで立て直したのは、クラブOBでもあるミケル・アルテタ監督だ。
運命の最終節を数日後に控え、アルテタは異例のインタビューに応じた。『BBC』の企画で、著名スペイン人ジャーナリストのギジェム・バラゲ氏を自宅に招いて自身のキャリアや私生活について赤裸々に語ったのである。「一番好きな映画は?」といった事前に用意された一問一答に回答しつつ、両親の離婚や少年時代の思い出まで、普段は聞けないような内容のインタビューとなった。
“孤独”が彼を成長させた
「何度見ても飽きない」として好きな映画に『グラディエーター』(2000年公開)を選んだアルテタは、スペインのサン・セバスティアン出身。子どもの頃には、後に一流の指揮官となるシャビ・アロンソ(レバークーゼン監督)やアンドニ・イラオラ(ボーンマス監督)と一緒に地元のクラブでプレーした。
「関係性」という質問に「両親」と答えたアルテタが親元を離れたのは14歳の時。名門バルセロナの下部組織「ラ・マシア」の寮に入所したのだ。「夢を叶えるパワーと自由をくれた」と両親について語るアルテタは、両親と離れたことで、自分がどれほど家族を愛しているか気づかされたという。
寮生活は8人一部屋。アンドレス・イニエスタ、チアゴ・モッタ、ビクトル・バルデスなどと同部屋になったアルテタは、のちにリバプールなどで活躍するGKペペ・レイナと二段ベッドを共有して「家族のような存在」と呼べる仲間に出会った。
サッカー観など様々なことを学び、人生で最も大切な時期を過ごしたと振り返ったアルテタは、その理由の1つとして“孤独”を挙げた。日曜日になると多くの仲間が実家に帰るなか、家が遠かったアルテタは寮に残った。「15歳にしてバルセロナで一人で過ごす。自分で何をするか決めなくてはいけなかった。悩んで苦しむ。時には、それも大事なことだった」
新たな家族との出会い、実際の家族との別れ
18歳の時には“新たな家族”のような存在と出会う。現在チェルシーを率いる元アルゼンチン代表のマウリシオ・ポチェッティーノである。出場機会を求めてバルセロナからフランスのパリ・サンジェルマン(PSG)にローン移籍したアルテタは、パリでホテル生活を始める。そのホテルには、当時PSGに所属していたポチェッティーノが家族と一緒に暮らしていたのだ。
「彼は僕にとってシールド(盾)のようだった。彼はすべてにおいて僕を守ってくれた。そして自信を与えてくれたんだ。彼は(DFだったので)僕の背後でプレーしており、指示を送ってくれ、常に背中を押してくれる存在だった。そういった存在は他にいないよ」
スペイン出身のアルテタだが、アルゼンチンに特別な愛着を持つという。彼の妻はアルゼンチン生まれのスペイン育ち。そのため「旅行」という質問には「妻と行ったアルゼンチン」と答えている。2002年に移籍したスコットランドのレンジャーズでも特別なアルゼンチン人に出会ったそうだ。
「僕にはアルゼンチン出身の大切な友人が3名いる。マウリシオ・ポチェッティーノ(PSGでの同僚)、ガブリエル・エインセ(PSGでの同僚)、クラウディオ・カニージャ(レンジャーズでの同僚)だ。カニージャとは2年ほどルームメイトだった。フットボールに必要なことだけでなく、全く必要ないことまでいろいろと学んだのさ!」
ピッチ上では家族と呼べる仲間を増やしていったアルテタだが、ピッチ外では両親の離婚というつらい経験をする。それまで家族と離れることが多かったアルテタは、20歳でレンジャーズに移籍する際に家族で話し合い、みんなでスコットランドに移り住み、姉は『BBC』で職を得た。レンジャーズではリーグ制覇など素晴らしい時間を送るも、わずか2年で故郷サン・セバスティアンに戻る決断をする。
両親から離婚を告げられた当時22歳のアルテタは、何とか関係を修復させようとレアル・ソシエダへの移籍に踏み切った。両親の離婚について「とても罪悪感を覚えた。自分が夢を追いかけ続けたせいかもしれないと思った。自分の責任だと……」と明かしたアルテタは、故郷のクラブでベンチを温める不遇の日々を送る。「スポーツ面を考えると、レアル・ソシエダへの移籍は正しいとは思えなかった。でも、自分にはすべきことがあった。もう一度、両親や家族を繋げたかったんだ。僕はまだ若くて人間関係を理解できていなかった。だから、何とかしようと思ったけど、ダメだった。うまくいかなかった」
築き上げた“家族のような絆”のチーム
わずか半年で故郷のクラブに別れを告げたアルテタは、エバートンに移籍して自信を取り戻すと、2011年にはアーセナルへと移籍する。そして2016年にノースロンドンで選手キャリアに終止符を打つと、その3年半後に監督としてアーセナルに帰ってきた。しかし、当時のクラブは「めちゃくちゃだった」という。
「(初の監督職で)いきなりアーセナルの監督になるのは複雑だったし、賛否があった。オーナーとの問題やサポーターとの問題と向き合うのは簡単じゃないしね。当時クラブには、チーム作りやプレースタイルの明確なアイデンティティがなかった。そして結果も出ていなかった」
チーム戦術や選手のクオリティよりも根深い問題があると感じてアルテタは、選手やスタッフを1つの部屋に集めてこき下ろしたという。「思い切りけなしたよ。すべてめちゃくちゃだと。そして伝えたんだ。『周りからは、こう思われているんだぞ。もし私に何とかしてもらいたいのなら、まずはお前たちが1つになれ。そこから仕事を始めよう。そして、みんなで一緒に楽しもう』と」
そして着実にチームを立て直していったアルテタは、就任から4年半で“家族のような絆”のチームを築き上げ、頂点まであと一歩に迫っている。
Photo: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。