ベティスが、昨年12月にセビージャと契約解除になっていたイスコの獲得を発表した。これでセビージャダービーの大盛り上がりは約束されたようなものだ。
セビージャとは喧嘩別れ
セビージャ市の2クラブ間の移籍は「禁断の移籍」である。
バルセロナからレアル・マドリーへのルイス・フィーゴの移籍もそう呼ばれたが、同じ市内でいがみ合うセビージャとベティスとは緊張感が違う。こちらは日々の生活を送るのに支障が出るレベルなのだ。
なので、セビージャの下部組織からトップデビュー後、アトレティコ・マドリーやミランを渡り歩き、晩年にベティスでプレーしたホセ・マリのケースを最後に、両クラブ間の移籍は実現していない。もう15年以上前の話だ。
イスコの場合、宿敵でプレーしていたのはつい最近で、しかも喧嘩別れをした経緯がある。
1カ月ほど前、イスコはセビージャのスポーツディレクターだったモンチとつかみ合いになった事件を公表した。『マルカ』紙のインタビューによれば、「嘘つき」とイスコが呼び、モンチが首根っこをつかんで揉み合いになったという。このトラブルのことは噂になっていたが、当事者が認めたのは初めてだった。
背景には、イスコ獲得はジューレン・ロペテギ元監督が要請したものであり、モンチは反対だったことがある。
ベティスにとっては、イスコが描く「セビージャへの復讐のストーリー」も獲得のモチベーションになったに違いない。トラブルの元は避けるのが普通だが、ベティスとセビージャに限っては導火線に火が点いている爆弾ですら燃料である。
恩師の下で完全復活なるか
もちろんスポーツ面のメリットも勘案されている。
マヌエル・ペジェグリーニ監督は、マラガ時代にイスコをブレイクさせた恩人である。
Rマドリー時代にはサンティアゴ・ソラーリ監督(当時)と衝突してすっかりトラブルメイカーのイメージが付いてしまったが、ペジェグリーニなら軌道修正できるかもしれない。「再生工場長」と呼ばれる彼の下で復活した選手は、現チームにもボルハ・イグレシアスやファンミがいる。
加えて、トップ下のポジションは本来ナビル・フェキルのものだが彼は負傷中で、復帰は早くて10月になる見込み。セビージャではトップ下タイプの選手があふれていて、イスコの必要性はないに等しかったが、ベティスにはちゃんとポジションが用意されている。
とはいえ、先週末のプレシーズンマッチを見た限りでは、下がってボールを触りたがるだけで、トップ下らしいパスを見ることはできなかった。半年以上のブランクから回復するのには時間がかかるだろう。
セビージャのホームでのダービーは11月11日または12日に予定されている。どんな大ブーイングになるのか今から楽しみだ。騒音測定器を持ち込むメディアも出てくるのではないかと思う。
Photo: Getty Images
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。