長年アーセナルでクラブドクターを務めてきたギャリー・オドリスコル(52歳)が、宿敵マンチェスター・ユナイテッドに引き抜かれることになった。
アーセナルに不可欠な存在
オドリスコルはアーセナルを知り尽くした医師である。ラグビーのアイルランド代表チームの医師を経て、2009年にアーセナルに誘われてノースロンドンのクラブドクターに就任して以降、彼はアーセナルに欠かせない存在となってきた。
アーセン・ベンゲル元監督の横でベンチに座り、優しい眼差しで選手たちを見守ってきたオドリスコルは、2017年からクラブの医療班の責任者として世界的クラブを支えてきた。選手たちからも愛される存在で、ミケル・アルテタ政権でも医療面だけでなく精神面でもチームをサポートしてきた。
スポーツ界を代表する医師として知られるようになり、3年前にはリバプールから猛烈ラブコールを受けている。一度はそのオファーを承諾したというが、やはり長年働いてきたチームを離れることはできずに残留した。しかし、今回は14年間過ごしたノースロンドンを離れる決心を固めたという。
ユナイテッドファンの高名ないとこ
転職の決め手は、マンチェスターUから提示された好条件だけではない。理由は、もっと“感情的”な部分にあるようだ。
「オドリスコル」は英国スポーツ界で知られた名前だ。彼の父は元ラグビー選手で、彼のいとこであるブライアン・オドリスコルに至ってはアイルランドの英雄である。ブライアンは1999年から2014年までラグビーのアイルランド代表と英国代表で計141試合に出場し、一時は代表戦の世界最多出場記録を保持していた名ラグビー選手なのだ。
アイルランドのファンからも絶大な人気を誇ったブライアン・オドリスコルは、その名前を略して“BOD”とも呼ばれ、「IN GOD WE TRUST(我々は神を信じる)」を文字って「IN BOD WE TRUST(我々はオドリスコルを信じる)」とたたえられたほどだ。その“神”と崇められたブライアン・オドリスコルは、サッカーに関しては熱心なマンチェスターUファンとして知られる。
そして彼がユナイテッドサポーターになるきっかけを作った人物こそ、いとこであるギャリー・オドリスコルなのだ。ギャリーはマンチェスター出身で、生粋のユナイテッドサポーターなのだ。子どもの頃には家族でアイルランドに住む親戚の家に遊びに行き、応援するチームを決めかねていたブライアンを“ユナイテッド教”に勧誘したのである。
幼少期からの愛するクラブへ
それでユナイテッドを愛するようになったブライアンは、ラグビー界のスター選手として名声を手に入れ、ユナイテッドの試合を観戦に行けばニュースになるほどの著名人となった。ユナイテッドの公式HPでも特集され、ユナイテッド愛や憧れの選手についてインタビューを受けたこともある。そんな熱心なファンを生み出した張本人であるギャリーも、2009年にアーセナルで仕事を始めるまでは“ユナイテッド信者”だった。
1999年にユナイテッドが3冠を達成した際には、バイエルンとのUEFAチャンピオンズリーグ決勝をカンプノウでスタジアム観戦したほどだ。2009年にアーセナルのチームドクター職に応募した際にも、ユナイテッドファンであることを明かしたという。本人は「絶対に受からない」と思ったそうだが、ベンゲル監督は応援するチームなど気にせずに受け入れてくれたそうだ。
だから、そこからの14年間はアーセナルのためだけに身を捧げてきた。しかし、いくら仕事に没頭しても、子どもの頃に抱いたファンの気持ちを消し去ることはできなかったのだろう。他にも様々な理由があるのかもしれないが、“憧れのクラブ”に誘われたことが何より大きかったはずだ。
今夏、ギャリー・オドリスコルは引き継ぎを済ませた後、14年間過ごしたアーセナルを離れて心から愛するクラブに入団するのだ。
Photo: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。