関係者のスーダン退避に連盟が尽力。ブラジルにおけるサッカーの大きさを目の当たりに
2023年4月15日、首都ハルツームでスーダン国軍と準軍事組織RSFの激しい衝突が勃発してから、ブラジルでも連日、現地の状況や停戦への国際的な取り組みなどが報道されている。
世界のどこかで戦争や紛争、災害などが起こると、そのニュースとともにブラジルでは、その国に住んでいる選手やスタッフなど、ブラジル人サッカー関係者たちの状況が伝えられることが多い。サッカー大国ブラジルからは、これほどまでに様々な国や地域へ向かうプロフェッショナルたちがいて、プレーし、仕事をしているのだとあらためて感じさせる。
今回、ブラジル政府は当初、スーダンにいて退避を希望しているブラジル人は27人と発表していた。そのうち、12人がサッカー関係者だった。
最も多かったのは、スーダン1部リーグに所属するアル・メレイフというクラブ。選手4人と、監督以下アシスタントコーチ、理学療法士、フィジカルコーチ、GKコーチというチームの主要スタッフ5人の合わせて9人だ。
紛争が始まる前には、全国リーグ2位につけ好調だった。彼らのSNSには試合や練習風景、ロッカールームでの笑顔など、プロとしてサッカーに取り組む日常の写真が投稿されている。それが一転して戦火に巻き込まれ、救いを求めるためにSNSを利用する事態になるとは誰が想像したであろうか。
そのうちの1人、MFマテウジーニョはSNSを通して「爆弾と銃撃の音で目が覚めた。今も聞こえるし、窓から見える。恐ろしい。こんなことが起こるなんて考えたこともなかった」と訴えた。
もともと生活環境を考え、選手やスタッフは移籍した今季の最初から、ほとんどの家族をブラジルに残してきていた。マテウジーニョの妻ジェシカ・ペレスさんは、他の家族とも情報交換していたが「情報は毎日同じ。大使館が、彼らにみんなで一緒にいるように、そして家を出ないようにと言っているということだけ。何もできないでいる」と、ブラジルメディアへのインタビューで不安を語っていた。
連日の爆弾投下や銃撃戦の騒音の中、最後の数日は電力も途絶え、食料も底を尽きかけていたという。72時間の停戦が発表された後も残り時間がなくなっていく中、スマホのバッテリーを節約しながら現地や隣国エジプトのブラジル大使館などに可能な限りの連絡を取り続けたが、こうすれば良いという指示は得られなかった。
関係者が口をそろえて感謝
その彼らが国境を越えたというニュースが流れたのは、24日のことだった。クラブがフロントのメンバーと所属する外国人のために、1台のチームバスを稼働させることができたのだ。バスは約1000kmの道のりを行き、何度も検問を通りながらカイロ(エジプト)に到着。その後、飛行機でブラジルに戻ることができた。
彼らがサンパウロやリオデジャネイロの空港に降り立ち、到着ロビーでインタビューに応じているのを聞く中で、驚いたのがアシスタントコーチのエスドラス・ロペスの言葉だ。
「紛争が激化する区域にいて、非常に難しい日々を過ごした。エジプトに着いた時には、非常にホッとした。CBF(ブラジルサッカー連盟)のサポートが非常に重要なものになった。感謝しかない」
選手も他のスタッフたちも、CBFのサポートへの感謝を口にしていた。CBFは彼らが脱出する方法を見出せなかった状況において、法務省と外務省とのルートを確立して現地にいる彼らとの間の主なパイプ役を引き受け、帰国するための連絡を維持したという。あらゆる可能性を探るために、FIFAとも連絡を取り合っていたそうだ。
同時に彼らは、リオデジャネイロ州プロサッカー選手組合にも感謝していた。組合はクラブに働きかけたり、個々のルートで様々な国会議員にも連絡を取り、救出への支援を求めるなどの行動を続けていた。
こうした外国での紛争という事態にあってサッカー団体にできることがあるというのは、大きな前例になることだろう。
また国大退去した関係者は、まだ応対が可能だった時期にメディアがスマホを介してインタビューをしたり、SNSへの投稿などを常に大きく扱い続けたことも手助けになったと感謝の意を示していた。
帰国のシーンは感動的だった、でも
帰国した選手たちは、SNSに今はブラジルでの家族との笑顔や、すでにフィジカルトレーニングを行なっている様子などを投稿している。FIFAの許可が降りたら、すぐにもブラジルのクラブなどに移籍してサッカーに戻るためだ。
マテウジーニョは30歳。アトレチコ・ゴイアニエンセやレッドブル・ブラガンチーノでプレーしていた彼はインタビューに答え、「なぜスーダンまで行ったんだと言う人もいるけど、世界にはブラジル人にはピンと来ない国でも、そこでの給料の1年分がブラジルで得ていた3、4年分ということもあるんだ」と語っている。
同クラブのFWパウロ・セルジオは33歳。ブラジルではフラメンゴでプレーしたほか、ポルトガルや韓国、UAEでもプレーした経験豊富な選手だ。彼もアル・メレイフはCAFチャンピオンズリーグをはじめ、年間2、3の国際大会にも出場するスーダンの強豪で、紛争が怒るまでは普通にサッカーに取り組めていたと口にしている。
空港の到着ロビーに現れ、家族や親戚、友達に迎えられて抱き合う映像は非常に感動的だった。しかし、紛争がなければ危険にさらされ、恐怖の中で苦しむことはなかったと思うにつけ、こういう感動が今後、世界のどこであれ起こらずに済むことを願ってやまない。
Photo: Getty Images
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Profile
藤原 清美
2001年、リオデジャネイロに拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特にサッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のTV・執筆等で成果を発表している。W杯6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTube『Planeta Kiyomi』も運営中。