他界した英国の“フットボールの声”が残した名フレーズの数々
去る2月23日、“フットボールの声”と呼ばれた英国の名コメンテーターが77歳で他界した。
ジョン・モトソンは、1968年から引退する2018年まで英国放送局『BBC』でフットボール中継に携わり、コメンテーターとして数々の名勝負を茶の間に届けてきた。FAカップ決勝は29試合、W杯とEUROはそれぞれ10大会ずつ。さらにイングランド代表の200試合を含め、TV放送でおよそ2500試合も実況を務めてきたという。「Voice of Football」(フットボールの声)と呼ばれるほど、半世紀にわたりにフットボールの代弁者として活躍してきた。
生粋のフットボール人だったモトソンは、亡くなる前日にも近所のパブでCLの試合を見ていたという。しかし23日、77歳の生涯に幕を下ろし、安らかな眠りについたのだ。
「最初に貴賓席までの39段を上る選手の名前がブカンだなんて」
“モティ”の愛称で親しまれたモトソンは、これまで数々の名実況を残してきた。最も有名なのは1988年FAカップ決勝の「リバプール対ウィンブルドン」での決め台詞だ。試合は、1970年代から黄金期を築き、そのシーズンもリーグ優勝を遂げてきたリバプールが圧倒的有利に思われた。しかし蓋を開けてみると、FKからのヘディングシュートで前半のうちにウィンブルドンが先制。その後はリバプールの猛攻を凌ぎ、PKまで止めたウィンブルドンが1-0で勝利したのである。
当時のウィンブルドンと言えば、フィジカルを全面に出すプレースタイルで「クレイジー・ギャング」と呼ばれるチームだった。そんなクラブが、名門リバプールを相手に番狂わせを起こして初優勝を果たしてみせたのだ。試合終了の笛が鳴ると「クレイジー・ギャングがカルチャー・クラブを下した。リバプールの2冠の夢を阻んだ!」と実況のモトソンは伝えた。
「カルチャー・クラブ」とは「洗練されたクラブ」という意味だが、1981年にロンドンで結成されたバンド『カルチャー・クラブ』にも少しかかっていたのかもしれない。いずれにせよ、当時の両クラブを的確に示す表現で試合を締めくくったのであった。
1977年のFAカップ決勝でも素敵なフレーズを残した。DFマーティン・バカンが主将を務めるマンチェスター・ユナイテッドが2-1でリバプールに勝利すると「最初に貴賓席までの39段を上る選手の名前がブカンだなんて、どういう運命でしょうか」と語ったのだ。
これは少し説明が必要だろう。FAカップの決勝の舞台は聖地「ウェンブリー」だ。当時の旧ウェンブリーには貴賓席まで39段の階段があり、優勝チームはキャプテンを先頭にそこを上って貴賓席でメダルと優勝カップを受け取るのが伝統だった。では、なぜ「ブカン」という名前だと運命なのか? それは1915年に発表された英国を代表するスパイ小説『The Thirty-Nine Steps』(邦題:三十九階段)の著者が「ジョン・バカン」だから。映画界の巨匠、アルフレッド・ヒッチコックなども映画化した名作を持ち出して、FAカップの伝統を伝えたのである。
「白黒テレビでご覧のみなさん、黄色のユニフォームで…」
そんなモトソンのキャリアにおいて転機となったのが、1972年のFAカップ3回戦だった。当時5部のヘレフォードが1部のニューカッスルをホームに迎えた一戦で、FAカップ史上最大とも呼ばれる大番狂わせが起きる。格下のヘレフォードは、82分に先制を許しながらも85分にMFロニー・ラドフォードの強烈なロングシュートで追いつくと、延長戦の末にニューカッスルを退けて大金星を挙げたのだ。そして、この試合の実況を担当したのが、当時26歳で“見習いコメンテーター”だったモトソンだった。
当初、試合映像は『BBC』のハイライト番組『マッチ・オブ・ザ・デイ』で数分だけ流される予定だった。しかし歴史的な番狂わせが起きたことで、この一戦がメインカードとして番組内で特集されることに。それにより「ラドフォードだ。なんというゴールでしょう!」というモトソンの実況が英国中のフットボールファンの耳に届けられたのである。
無論、モトソンが残したのは名言だけではない。時には「白黒テレビでご覧のみなさん、黄色のユニフォームでプレーしているのがスパーズです……」といったお茶目な失敗もあったそうだが、それでもモトソンが“フットボールの声”として愛され続けたことに変わりはない。そして、彼の声は永遠にフットボールファンの記憶の中で生き続けるはずだ。
Photos: Getty Images
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Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。