トッテナムで活躍するデンマーク代表MFピエール・エミル・ホイビュア(27歳)が“ヤングケアラー”の過去を振り返った。
ホイビュアは16歳にしてデンマークのクラブからドイツの名門バイエルンに引き抜かれるほど将来を嘱望される選手だった。そして2012年の夏にバイエルンに加入したホイビュアは、翌年の4月に当時のクラブ最年少記録となる17歳251日でトップチームデビューを果たすのだった。若くして親元を離れるのは辛かったそうだが、選手キャリアは順風満帆に思えた。
だが2013年の夏、未来を約束された17歳の人生は一瞬にして色彩を失うことになる。父親がガンと診断されたのだ。その日から、ホイビュアは駆け出しのサッカー選手であるとともに、“ヤングケアラー”にもなった。過去のインタビューで、他界した父への思いや、辛い時期を支えてくれたバイエルンの当時の監督であるペップ・グアルディオラへの感謝などは語っているホイビュアだが、父の看病について「こうして話すのは初めてなんだ」と『BBC』の番組内で打ち明けた。
ミュンヘンでの看病の日々
父親から病状を知らされた時、ホイビュアは「本当に悲しかったし、いら立ちを覚えた。家族から遠く離れている自分に腹が立った」という。病状はかなり深刻で、化学療法を用いることになった。ホイビュアの言葉を借りると「救うのではなく、延命する道」だったという。
バイエルンが全面的にサポートしてくれた。クラブの提案によって父親はミュンヘンで化学療法を受けられることになり、ミュンヘンに10日間滞在して治療を受けるといったことを6回ほど繰り返したそうだ。そして、その時にはホイビュアが父親を看病した。
ホイビュアはこう振り返る。「いつも父は僕の面倒を見てくれていたのに、突然、僕が父の世話をすることになった。父のために料理をしたり、ベッドに寝かせたり、ちゃんと薬を飲めるか確認したり。でも、望むような回復は見られずに2014年4月に他界したんだ」
その時の「心の傷」は今も消えていないという。それでも、父親と過ごした最後の時間はかけがえのないものだった。そして「父と過ごした一番の時間が、あの頃だった」とホイビュアは振り返る。「僕は父親に、一人でちゃんと生活できること、父の看病だってできること、そして大人の男に成長している姿を見せることができたんだ」
家族を失い苦しみ、家族に救われる
それでも17歳の青年にとっては、あまりにも酷だった。「辛かったのは、常に強がらなくてはいけないことだった。父の前では一度も悲しい顔をしなかった。でも、そこで気持ちを抑え過ぎたことで、後に苦しい思いをすることになった」
父が他界した5日後にバイエルンで初先発を果たしたホイビュアは、すぐにデンマーク代表デビューまで果たすのだが、そこから数年間は生きる意味を見出せずに苦しんだという。だが、大切な家族を失って苦しんでいたホイビュアを救ったのも、大切な家族の存在だったという。
「娘ができて、生きる意味を見出すことができた。娘ができた時に、僕は母に言ったんだ。ようやく人生が、僕に何かを与えてくれたってね。だから僕にとって子供たちはすべてなんだ」
ホイビュアは、バイエルンでは一度も定位置を確保できないまま、アウクスブルクやシャルケにローン移籍した後、2016年にイングランドに渡り、今はトッテナムで活躍している。
「バイエルンでは失敗に終わったかもしれない」と振り返りつつも、バイエルンで過ごした日々に感謝しているという。「あの時間がなければ今の僕はいない。だからバイエルンのことは“スクール・オブ・チャンピオン”と呼んでいるのさ」
父の思い出とともに、ホイビュアは大切な家族のために今日もピッチ上で献身的に働くのだ。
Photo: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。