UEFAチャンピオンズリーグ、ラウンド16のチェルシーとリールの対戦を誰よりも楽しみにしているのは、チェルシーのOB、ジョー・コールかもしれない。
両クラブに在籍歴のある選手といえば、ベルギー代表のエデン・アザールだろう。リールの下部組織出身のアザールは、リール時代に2度もリーグ1の年間最優秀選手に選ばれ、2012年に鳴り物入りでチェルシーに加入。2014-15シーズンにはイングランドでも年間最優秀選手賞を総なめにしてリーグ優勝に貢献した。
だが、アザール以外にも両クラブに在籍したことのある選手がいる。それがジョー・コールだ。そして、アザールをチェルシーへ誘ったのもコールだというのだ。
移籍の決め手は名将の存在
ウェストハムで選手キャリアをスタートさせたコールは、2003年から2010年までチェルシーに所属して3度のリーグ優勝に貢献した。その後、2010年夏にリバプールに加入するもケガなどで思うような活躍ができず、1年でマージーサイドを去る決意をした。そして彼が新天地に選んだのがフランスのリールだった。
「当時はイングランド人の海外移籍は珍しく、イングランド代表選手がリーグ1に移籍するのは20年ぶりのことだった」と、コールはスポーツ専門サイト『The Athletic』で振り返っている。
2011年夏に移籍を決断したコールは、獲得に興味を示してくれたイングランド勢の繰り広げるサッカーは自分に合わないと思い、海外移籍を模索。リール、ボルドー、マルセイユに選択肢を絞った。最終的にリールへのローン移籍を決めたのは、監督の存在が大きかったという。
当時リールを率いていたリュディ・ガルシア監督と1時間ほど話し、すぐに心惹かれたそうだ。
「これまで指導を受けた監督の中で最高の1人さ。ジョゼ・モウリーニョやカルロ・アンチェロッティの下でもプレーしたが、戦術面で最も学ぶことが多かったのはリュディなんだ。それほど素晴らしい監督だったね」
「特別な青年」との出会い
当時のリールは、前シーズンに57年ぶりのリーグ優勝を果たし、連覇を目指していた。そして単に結果を出しただけでなく、観客を魅了する素晴らしいサッカーを披露していた。ポゼッションサッカーを追求するリュディ・ガルシア監督の下、リールはファンから「北のバルセロナ」と呼ばれていたという。
それゆえにコールもサッカーを満喫できた。しかも、リールには申し分ないタレントがそろっていた。「自分はリールのNo.10となり、主役になれると思っていたが、真っ先に監督に言われたんだ。『うちには特別な青年がいる』とね」と、コールは当時を振り返る。
その20歳の青年がアザールだった。半信半疑のコールも、アザールのプレーを一目見て納得したそうで、背番号10は諦めてアザールが前シーズンまで着けていた「26番」を喜んで着けることにしたという。当然、アザールにはヨーロッパ中のクラブが注目していた。マンチェスター勢も獲得を切望したが、同僚のコールの“刷り込み作戦”が成功するのだった。
「彼にはロンドンのチェルシーが合っていると思った。だから彼に言い続けたのさ。『ユナイテッドやシティのことは忘れろ。お前のチームはチェルシーだ』とね」
同僚のプレミア移籍を“仲介”
コールが“仲介役”を務めたのはアザールだけではない。当時リールには元フランス代表のMFディミトリ・パイェも所属しており、同選手はその後マルセイユを経て、コールの古巣であるウェストハムに移籍するのだった。
「彼には何度もウェストハムの話をしていたんだ。彼らの移籍について代理人の手数料をもらうべきだったよ!」とコールは語る。
それだけではない。当時リールの若手だったMFイドリッサ・ゲイェ(現在パリ・サンジェルマン)やDFリュカ・ディニュ(現在アストンビラ)といった選手も、後にプレミアリーグに挑戦するようになったのだ。
もちろんコールはピッチ上でも活躍した。リールでのデビュー戦でいきなりアシストを記録すると、公式戦43試合に出場して9得点6アシスト。だが、ピッチ外での努力も忘れておらず、海外生活の貴重な体験を満喫すべく「フランス語のレッスンを受け、チームメイトとの付き合いを大事にし、毎日のように『レキップ』紙をめくった。そしてコーヒーまで飲み始めたほどさ!」と郷に入っては郷に従ったという。
わずか1年だったが、コールはフランスで素晴らしい時間を過ごし、今でもリールのファンから愛されているという。
Photos: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。