今夏のEURO 2020で55年ぶりに国際舞台のファイナルに進出したイングランド代表では、何名ものヒーローが誕生した。
イタリアとの決勝戦で先制ゴールを決めたDFルーク・ショーは、ブラジルの英雄ロベルト・カルロスにちなんでチームメイトから「ショーベルト・カルロス」と呼ばれるほどの活躍だった。イタリアとのPK戦でジョルジーニョのPKを止めたGKジョーダン・ピックフォードや、3ゴール1アシストと結果を残したFWラヒーム・スターリングなどもサポーターから称えられた。
そんな中、ガレス・サウスゲイト代表監督のアシスタントを務めたスティーブ・ホランドが今大会の“チームMVP”に挙げたのは、脚光を浴びた彼らではなかった。サウスゲイトの右腕が選んだのは、ピッチに一度も立つことのなかった縁の下の力持ちだったのである。
「最高の数週間だった」
DFコナー・コーディは、初めて臨むA代表での国際舞台で一度も出番がなく、チームが勝ち上がるのをベンチで見守り続けた。それでも腐ることなく、チームのために最善を尽くした。決勝戦を前に、ホランドは「今大会ここまでのMVPはコーディだ」と『BBC』に語っている。
「彼は全力で練習に取り組んでくれる。試合前の控え室では、試合に出ていないのにまるでキャプテンのように仲間に声をかける。なかなかできることではない」
コーディ本人は、コーチからの評価に感謝しつつも「勘違いしないでほしいのだが、もちろん(出られないのは)つらかった」とスポーツ専門サイト『The Athletic』で本音を吐露。
「でも客観的に考えて、チームには世界的なCBがいたからね。私の役割は自分の準備をするとともに、出場している選手を支えることだった。私たちの目標は1つ。母国のために勝つことだったからね」
監督からの信頼も絶大だったという。選手との対話を重んじるサウスゲイト監督は、決勝トーナメントに入って3バックを試す際に、所属先のウォルバーハンプトンで3バックに馴染みのあるコーディに意見を求めたという。そんな頼れる選手でも、ハリー・マグワイアとジョン・ストーンズの世界的CBコンビの牙城を崩すことはできなかった。
それでも「最高の数週間だった」とコーディは『The Athletic』で大会を振り返った。「(歌手の)エド・シーランが激励に来てくれたし、決勝の前には(俳優の)トム・クルーズが電話をかけてきたしね。練習を含めてすべての時間を満喫した。選手やスタッフのプロ意識も素晴らしかった。子供の頃から夢に見たイングランド代表だしね」
無論、彼が“チームファースト”に徹したのは、それが特別な舞台だったからではない。彼は当たり前のことをしただけだ。
「試合に出たかった。でも出られないのなら次にできることをするだけ。周りの選手の力になることだ。試合に出ようが出まいが、私の仕事は最高の自分を提供することだ」
差別的批判には反論
大会後、コーディは休暇を切り上げて個別練習を再開した。そのせいで奥さんから大目玉を食らったそうだが、それがコーディという選手なのだ。
彼のプロ意識の高さは過去3シーズンの数字を見れば一目瞭然だ。2018年にウルブズがプレミアリーグに昇格して以降、常にチームの中心にいる。過去3シーズン、リーグ戦で欠場したのは昨年11月の1試合だけ。新型コロナウイルスの濃厚接触者と判断され、自主隔離を余儀なくされた。そのせいで、プレミアリーグでの連続フル出場は84試合でストップし、ウェイン・ブリッジが持つ112試合の記録(GKを除く)に届かなかった。
誰よりも真摯にフットボールと向き合っている彼だからこそ、EURO 2020決勝でPKを失敗した選手への差別的な批判には心を痛めた。「私たちは毎日のようにPKを練習したが、彼らが失敗するところを私は一度も見ていない」とコーディは証言する。
「彼らは本当に勇敢だった。試合後の反応は酷いものだ。でも、私の子供たちは彼らをヒーローだと思っているし、彼らの名前のユニフォームを欲しがっている。父親として、私はそれが本当に誇らしいんだ」
今夏のEURO2020で、ピッチに立たずして“チームMVP”に選ばれたのは恐らくコナー・コーディだけだろう。
Photos: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。