4月27日、RBライプツィヒの指揮官であるユリアン・ナーゲルスマンが来季からバイエルンに移籍することが発表された。RBライプツィヒとの契約を残していたナーゲルスマンを獲得するためにバイエルンが支払う移籍金は2500万ユーロ(約32億5000万円)。2026年夏までの5年契約だ。バイエルンは公式プレスリリースの中で、「新世代の監督を代表する」ナーゲルスマンと契約できたことを伝えている。
ナーゲルスマンは「(RBライプツィヒ監督就任の)2年後に移籍するなんて計画はなかった。これまでも他のクラブからオファーはいくつかあった。でも、RBライプツィヒには『契約を満了できないケースは、たった1つのクラブからのオファーがあった時だけだ』と伝えてあった」とバイエルンからのオファーが自身にとって特別なものであることを説明した。
監督の移籍金として史上最高額
2500万ユーロは、監督に支払われた「移籍金」としては史上最高額。ポルトからチェルシーに移籍したアンドレ・ビラス・ボアスの1500万ユーロ(約19億5000万円)を大きく上回る。ドイツ国内で突出したビッククラブのバイエルンだが、パフォーマンスのための無駄な出費はしない。コロナ禍の中、今季は支出を抑えるために最小限の補強しか行わず、そのマネジメントが監督のハンジ・フリックから批判されたのは周知の通りだ。
そのような状況で、30億円を超える投資を行うのだ。ホッフェンハイムやRBライプツィヒでブンデスリーガと欧州の大会での経験を積み、中2日の日程リズムに慣れたこともあり、確信があっての投資だと言える。ナーゲルスマン本人は「移籍金は自分とは関係ない。こんな金額に見合う人間なんていないと思っている。これは自分ではなく、クラブ間の話だ」と話す。
交渉にあたったRBライプツィヒのオリバー・ミンツラフCEOは「バイエルンが、こちらの要求を満たせないことを願っていた」と説明し、「2300万ユーロならバイエルンに行かせなかった」と振り返る。
故郷バイエルンへの凱旋
ミンツラフは「ナーゲルスマンの『人生の夢』を叶えたいという願いを受け入れることにした。もし、この願いを叶えられないまま来季もともに仕事をしたとしても、どんな意味があるのかと吟味した。最終的に、この決断が最も理性的な判断だという結論に達したんだ」と話す。
ミンツラフは、ナーゲルスマンがホッフェンハイムからRBライプツィヒにやって来た時、すでにバイエルンで監督を務める希望があることを聞かされていたという。そして「RBライプツィヒでは、口約束でも守られる」と強調した。
本人がこれまでも何度も強調している通り、ナーゲルスマンはバイエルン州のアルプス山脈ふもとの小都市で育った。アウグスブルクまでは車で約40分、ミュンヘンまでは車で1時間ほど。育成年代ではアウクスブルクを経て、バイエルンのライバルの1860ミュンヘンで育った。地元にある世界的なクラブで欧州トップを目指すナーゲルスマンは、このチャンスを夢見ていたのだ。
バイエルンとRBライプツィヒ、新たな2強となるか
ナーゲルスマンは、すでにRBライプツィヒから自身のアシスタントコーチ2人が付いていくこと、選手を獲得しないことを説明している。バイエルン行きの際にミンツラフおよびRBライプツィヒが要求した条件を満たした上での移籍であり、自身も「負い目はない」と話している。
バイエルンは選手、マネジメント、コーチ陣とトップレベルの陣容がそろっており、組織も強固だ。人気選手と繋がっている大手メディアは常に情報を引き出せるような状態にあり、これまでのようにのびのびと監督業を進められるとは限らない。これまでも、多くの名監督たちが挫折を経験したクラブでもある。それでも、ナーゲルスマンは「まだ良く眠れている」と話す。気後れや不安はない。
RBライプツィヒも手をこまねいているわけではない。ミンツラフは、すでに3名の新監督候補をリストアップしているという。1人はRBザルツブルクのジェシー・マーシュと見られているが、話はついているという噂は否定した。
『キッカー』は現PSVのロジャー・シュミット、そしてマインツに戻ったばかりのボー・スベンソンをその他の選択肢として名を挙げている。ミンツラフはすでに「来季はバイエルンとナーゲルスマンを狩りに行く」と宣言しており、水面下で準備を進めている。
バイエルンのハンジ・フリックはドイツ代表監督就任の噂が日増しに強くなっている。ナーゲルスマンのバイエルン監督就任、そしてスポーツディレクターのマルクス・クレーシェ退任も伴い、転換期を迎えるRBライプツィヒ。EURO2020後のドイツサッカー界で、大きなパラダイムシフトが起ころうとしている。
Photo: Getty Images
Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。