リバプールでUEFAチャンピオンズリーグ優勝、イングランド・プレミアリーグ優勝を果たし、世界最優秀監督にも2年連続で選ばれたユルゲン・クロップ。ドルトムントやリバプールで世界最高峰の選手たちを率いてきた名将が、自身のキャリアの中でともに仕事をした最高の選手の名を挙げた。3月17日の『シュポルトビルト』の中で報じられている。
すべてのステップをクリアした
1990年W杯やEURO96を制した元ドイツ代表ローター・マテウスの60歳の誕生日を記念して行われた対談の中で、クロップはリバプールでの現状やドイツ代表監督の話などに触れながら、対談の最後に「自身がキャリアの中で指導した最高の選手は?」という質問に答えた。
「ロベルト・レバンドフスキ。レビィ(レバンドフスキの愛称)が彼自身の潜在能力から成し遂げたこと、現在の選手になるまでに、どれほど努力をしてきたか。並大抵のことではないよ。私が初めてレビィをレフ・ポズナンで見た時から、現在の姿になるまでのことを考えるとね。もし、すべての選手がレビィのような成長を見せるなら、現在のサッカーはクレイジーなものになっていることだろう」
当時ドルトムントを率いていたクロップの目には、ポーランドでプレーするレバンドフスキがそれほど凡庸に見えたのだった。ブンデスリーガで通用するポテンシャルこそあるものの、まさか世界最高のストライカーになるとは思っていなかったようだ。ドルトムントに加入した1年目は、33試合出場で8得点3アシスト。同年に加入した香川真司が第17節を最後にケガで離脱すると、その穴を埋めるために2列目の選手として頭角を表した。
CFとして注目を集める存在となったのは、翌2011-12シーズンからだ。リーグ全試合に出場し、22得点10アシストの活躍でドルトムント優勝の立役者となった。クロップは当時を振り返る。
「レビィはゴールマシンになるためのステップをすべてクリアしたんだ。クリアしなければならないステップをすべてね。彼は試合を食べ尽くしたんだ。今ではあらゆる状況で、やるべきこと、動くべき場所を理解している。絶対的なゴールマシンになったんだ。そのプロセスも含めて、ロベルト・レバンドフスキを最高の選手として選びたい」
ダンベルトレーニングは20歳前後から
レバンドフスキ本人も、同誌でマテウスと話している。その中で、身体的な成長が遅く、筋肉が付きにくい体だったことも明かしている。少年時代は中長距離の選手だったこともあり、持久力こそあったものの、現在のような屈強なCFというわけではなかった。
「自分はいつも一番小さくて、一番やせ細っている選手だったんだ。今では想像もできないだろうけどね。初めてダンベルを使った本格的なトレーニングを行ったのは、19、20歳ぐらいの時。ドルトムントに移籍する少し前だ。ドルトムントにやって来て、個人トレーニングを増やしたんだ。23、24歳頃からはたくさんの時間をフィットネスルームで費やしている。それは今でも変わらない。このプロセスは、実際には長いこと難しい道のりだった。筋肉量を増やして体を大きくしようにも、僕の筋肉はなかなか大きく成長してくれなかったんだ」
指導者としてクロップも外側からレバンドフスキを眺めていたように、レバンドフスキも自身を努力の人間だと自負している。自身の成功は、才能ではなく、精神力の賜物だと理解しているのだ。
「現在のレベルに留まり続けるのは大きなチャレンジだ。何よりも精神的な面でね。僕らバイエルンの考え方は『トリプル達成の昨季は信じられないシーズンだった。でも、自分たちにはもっと力が眠っているかもしれない。それを刺激して引き出してみよう』というものだ。変わらずに全力を出し続け、チームとして充実感を共有し合うのさ」
伝説のシーズン40得点を上回るか
自身の身体的なパラメーターを把握するために、レバンドフスキは自身の生物学的な肉体年齢を計測させている。計測結果は26歳。実年齢の32歳よりもはるかに若い。レバンドフスキも「26、27歳の頃よりもフィットしているように感じるし、あの頃よりも経験を積み重ねている」と実感しており、あと数年は現在のレベルを維持できると信じている。それも、これまで自分自身が商売道具である体に対して行ってきたケアに自信があるからだ。
「19、20歳頃から始めた自己管理が、今になって効いているんだ。自分の体にたくさんのケアを行ってきた。23歳からは、その自己管理は徹底して行っているんだ」
今季は26試合中25試合に出場し、35得点と驚異的なペースで得点を重ねている。ブンデスリーガのシーズン最多ゴール記録は、1971-72シーズンにゲルト・ミュラーが達成した40得点だ。このペースで得点を重ねれば、すでに伝説とされている記録を49年ぶりに更新できるかもしれない。
クロップも脱帽する自己管理で、自身を完全無欠のゴールマシンへと鍛え上げたレバンドフスキは、誰もが認める世界トップのストライカーとして、シーズン40ゴールという大台に挑戦する。
Photo: Getty Images
Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。