1月19日のドイツ・ブンデスリーガ第19節、ホームのドルトムント戦で2-1となる決勝点を決めたレバークーゼンのフロリアン・ビルツ。17歳の新星が、今後の行方を占う大一番で存在感を放った。
1月5日付の『シュポルトビルト』のロングインタビューの中で、ビルツは17歳とは思えない冷静な自己分析を披露。ドイツの強豪レバークーゼンで定位置獲得に至った成功要因を振り返っている。
トップクラブのオファーにも冷静
ビルツはケルンの下部組織で育ち、2020年1月31日にレバークーゼンのU-19に移籍した。ケルンではU-17ブンデスリーガ西部で優勝に貢献し、U-17ドイツ代表で頭角を表していたビルツには、バイエルンに加え、複数のプレミアリーグのクラブが獲得に動いていたことがわかっている。
ビルツは国内外のトップクラブからのオファーにも舞い上がることなく、自身が最も成長できる環境を選んだ。
「僕にとっては早い段階で決まっていた。ケルンかレバークーゼンのどちらかだとね。地元に残りたかった。家族や友人と離れる気はなかったからね。レバークーゼンのほうが、よりキャリアを成長させられると感じられた」
10代の若手にとっては出場機会や指導者のレベルなども重要な要素だが、自分にとって最適な環境下で過ごすことも重要だ。とりわけチームの移籍や成人のプロたちと行動をともにすることになる適応期間など、大きなストレスを感じる時期は、身近に慣れ親しんだ人間がいれば精神的な負担も軽減される。
コロナ禍の静けさが有利に働いた
昨年3月からの新型コロナウイルス(Covid-19)による中断期間が、ビルツにとっては大きなチャンスとなった。育成年代のシーズンが中断したことで、将来的にトップチームでプレーする予定だったビルツを予定より早くプロ選手たちとのトレーニングに合流させたのだ。
さらに、無観客でのリーグ戦はユースから抜擢された17歳のビルツにとって有利に働いた。外からの精神的なプレッシャーを感じなくてすんだからだ。
「最初のうちは無観客が有利に働いたかもしれない。客席が空っぽなスタジアムはプレッシャーも比較的少ないし、育成年代のサッカーからプロへの移行もより容易になったと思う。でも、今季6000人の観客の前でRBライプツィヒを相手にプレーさせてもらえた時は、さらに大きなモチベーションになったよ」と、トップチームでの生活に馴染み始めていることを示した。
若手を受け入れるレバークーゼン
さらに、生え抜きだったカイ・ハフェルツ(現チェルシー)を筆頭に、移籍組のハカン・チャルハノール(現ミラン)、ソン・フンミン(現トッテナム)など若手選手がコンスタントに活躍してきたレバークーゼンの特徴も見逃せないポイントだ。
育成組織のビルツを獲得する際、ピーター・ボス監督もトップチームの監督ながら交渉の席に同席していた。ボス監督は、すでに自身も獲得を望んでいることや、チームのシステムに合致していることを伝えていたという。ビルツはトップチームに合流した時のことを振り返る。
「ボス監督は『若いか、年齢を重ねているかは重要ではない。監督にとっては良い選手か、さらに良い選手か、という判断材料しか存在しない』と言ってくれた。これには勇気づけられたね」
さらに、戦力になると認められると、経験豊富な選手たちはすぐさまサポートに回った。ドイツ代表MFナディーム・アミリは、合流初日からレバークーゼンで求められることをアドバイスしていた。「ボス監督はボールロスト後、すぐさまボールを奪い返してプレーを続けることをしない選手は大嫌いなんだ」といった戦術と同時に精神的な姿勢を示すアドバイスは特に頭に残っているようだ。また、同じくMFのケレム・デミルバイもビルツをサポートする1人だという。
彼らのように、チーム全体が「同じポジションのライバルとしてではなく、チームの助けとなるメンバーの一員」として自身を受け入れてくれたことが、すぐにチームに適応できた大きな要因だとビルツは感謝の念を表した。
バルセロナ移籍の夢を実現できるか
今季、8000万ユーロでチェルシーに移籍したハフェルツを「自身のお手本」と認めると同時に、「超えるべき目標でもある」と話す。参考にしていたハフェルツの動きをボス監督の下で実践できていることは、自信にもつながっているようだ。
「相手DFラインと中盤のラインの間のスペースでの動きが特に改善された。そこでボールを受けられれば、僕の周りにいる相手DFは、誰がボールにアタックすべきかすぐには認識できないからね。そうして大きなスペースを獲得していけば、チームにとって重要な存在になれる」
バルサでのプレーが、小さい頃からの変わらぬ夢だというビルツ。この調子で成長を続けることができれば、夢の実現も近づくはずだ。大きな可能性を秘めた大器は、地に足をつけ、一歩一歩着実に進んでいる。
Photos: Getty Images
Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。