「日本人選手の獲得は私のキャリアのハイライト」。そう語ったのはアストンビラのスポーツダイレクターだ。
岩渕本人とクラブCEOにプレゼン
昨年末、イングランド女子1部リーグ(WSL)に所属するアストンビラ・ウィメンが、なでしこジャパンのFW岩渕真奈(27歳)を獲得した。50年近い歴史を誇るアストンビラの女子チームだが、昨季トップリーグ昇格を決めたばかりの新興勢力。今季初挑戦のWSLでは11位(12チーム中)で新年を迎えており、決して強豪クラブではない。
では、どうしてそんなチームが日本のエースを口説き落とせたのか。その背景には元イングランド女子代表FWエニオラ・アルコの存在があるようだ。
アルコという名前に聞き覚えのある人も多いはずだ。彼女はイングランド女子代表で100キャップ以上を誇り、バーミンガムやチェルシーなどでプレーしてきた女子サッカー界のトップスターだ。昨年1月にイタリアのユベントスを退団して引退を発表すると、すぐにアストンビラ女子チームのスポーツダイレクターに任命された。
たとえ彼女のことを知らなくても、過去にプレミアリーグでプレーし、現在はレディングに所属するFWソニー・アルコの姉と言えば分かるはずだ。
そのエニオラ・アルコが、岩渕の獲得を熱望したのだ。「日本代表にしてワールドカップ覇者でもある岩渕真奈の獲得は私たちの意思表示」とアルコは英紙『The Guardian』のコラムに綴った。昨夏から同選手の獲得に動いていたアルコは「私はまだ駆け出しのスポーツダイレクターですが、彼女の獲得は私のキャリアのハイライト」と喜んだ。
アルコには、どうしても岩渕を獲得したい理由があった。「私とジェマ・デイビス監督は、歴代の選手も含めて日本女子サッカー選手に称賛と尊敬の念を持っている」と語るアルコは、アメリカのセントルイス・アスレティカ時代に宮間あやと、さらにチェルシー時代には永里優季とチームメイトだったという。「日本のレジェンドたちの芸術性」に感銘を受けたそうで、日本女子サッカーのDNAである「精度と優美」を継承する岩渕が欲しかったというのだ。
東京五輪の延期が決まる前から獲得に動いていたアルコは、「Microsoft Teams」を使ってクラブの長期的な計画や練習環境などを岩渕にプレゼンしたそうだ。そしてアストンビラのCEOには「ピッチ上での活躍はもちろんのこと、女子サッカー界でクラブの知名度を上げてくれる選手」と岩渕の存在価値を説いたという。
SDの仕事にはすぐに慣れた
念願叶って岩渕の獲得に成功したアルコだが、選手時代とはまったく異なるスポーツダイレクターという仕事に最初は戸惑ったと語り、選手時代の方がやることが単純だったと振り返る。
ストライカーだったアルコの役目はゴールを奪うこと。「誰のゴール、誰のアシスト、誰のセーブ、誰のタックルかは明確だけど、最優先すべきはチームの勝利。でも大半の仕事がそうであるように、クラブ運営は責任の所存が少しわかりづらく、目指す勝利の形も人によって違う」と説明する。
それでもアルコは、すぐに“他職種”に慣れることができた。というのも、アルコは“フットボール一筋”ではないのだ。選手として活躍する傍ら、大学で法律を学び、弁護士の資格も取得して世界的な法律事務所でも働いた。そしてテレビ局で解説業を行うなど、いろいろな経験を積んできたのだ。さらに今年はフットボール財政学を受講する予定だという。
今季のWSLでは昇格2年目のマンチェスター・ユナイテッドが首位を走っている。だからエニオラ・アルコも「自分たちの志に限界を感じる必要はない」と、日本の小さなエースとともに、前に“歩こう”としている。
Photos: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。