11月25日にこの世を去ったディエゴ・マラドーナ氏。7年間プレーしたナポリの街では、連日のように自然発生的な葬送セレモニーが行われている。
街に巡礼地が出現
訃報が伝わるとナポリの人々は街に出た。街中でマラドーナ氏のウォールアートが描かれているところを始め、市内のあちこちで無数のタオルマフラーやフラッグ、蝋燭が飾られる。人々は手を挙げ、跪いて祈りを捧げ、高らかにチャントを歌った。テレビの取材には「ナポリの人々はみんな泣いた。神話であり期待の存在であり、すべてだ」「当時困難の中にあったナポリの市民に希望を持たせてくれた存在」と涙ながらに想いを語った。
11月26日のUEFAヨーロッパリーグ、リエカ戦が行われたスタディオ・サン・パオロでは、無観客試合ながらサポーターが集結。試合開始前にはスタジアムの周囲を取り囲んで発煙筒を焚き、ゴール裏さながらの雰囲気を作る。ナポリの選手たちは入場の際、全員が「Maradona 10」のユニフォームを着て入場した。
そして街では、なんと守護聖人よろしく”巡礼地”ができている。スタディオ・サン・パオロ、街の中心であるプレビシート広場、スペイン地区内のアートウォール前、市の東側の巨大アートウォール前はもとより、自宅のあった通りや、夜には連日のように人々を集めては享楽に耽っていたホテルなど、本人ゆかりの場所も然りだ。
さらに市内中心部のニーロ小広場には『マラドーナの頭髪』が額に入れられて飾られているバールがあり、新型コロナウイルス感染対策による規制中ながら特別にオープンされ、ファンが”お参り”に来ているのだという。
ナポリとの深い結び付き
もっとも、良い反応だけではない。現在ナポリを初めとしたカンパーニャ州は、新型コロナウイルス感染症対策のため、ロックダウンを初めとした厳しい規制下にある。マラドーナ氏葬送のために人々が外出した行為について、医療当局者からは「密集を作った。これまでの努力を無にする行為で、これでは第3波も必定となってしまう」との非難も上がっている。
しかし、そんなこともお構いなしにナポリの人々が示したマラドーナ氏追悼の熱情は、この街の人々と彼がどれだけ深く結び付いていたのかを改めて示すこととなった。
都市伝説に詳しい人類学者マリーノ・ノーラ教授は『コリエレ・デッロ・スポルト』の取材に対してこう語っている。
「ナポリだったからこそマラドーナは伝説となり得た。バルセロナで危機的な状態にあったマラドーナを、ナポリの街は息子を待ち望んでいた母親のようにそのまま迎えた。人間としては脆く、さまざまな理由から糾弾ではなく 擁護に値する人だ。ボールがなければ彼は神ではなくただの人であることを、ナポリの人々はよく知っていた」
複数の地元紙は「ナポリ市は近くサン・パオロを『マラドーナ・アレーナ』と改名する」と報じた。また、チームは11月29日のローマ戦で、アルゼンチン代表の縦縞カラーをモチーフにしたスペシャルユニフォームで戦った。
Photo: Getty Images
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神尾 光臣
1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。