フットボリスタは、なぜサロンを始めるのか。浅野賀一(編集長)
『フットボリスタ・ラボ』開設記念インタビュー
2006年10月の創刊から13年目となる今年、フットボリスタはWEBサロン「フットボリスタ・ラボ」をスタートします。どのような気概を持ち、どのような目的でサロンを運営していくのか。編集長の浅野賀一が語ります。
かつて存在した「サロン的言論空間」を
――まず、フットボリスタとしてWEBサロンを始めた理由を教えてください。
「実は、私が編集長になった2015年のタイミングからやりたかったことなんです。発想の原点は、若い頃に経験したWEB上のサロン空間でした。2000年初頭、WEB上には『J-NET』や『ル・モンド・トルシエ』など、議論することに特化した掲示板がたくさんありました。私自身『Variety Football』というマニアックなサッカー戦術分析サイトを運営していましたが、当時のネットには独特なサロン的空間があったんです。
年齢や職業の壁を取っ払い、サッカーを愛し、日本サッカー界の未来を憂い、真剣に考える人たちが日々議論を重ねていました。時にヒートアップすることもありましたが、“文化”を共有している人間が集まっていたので“荒れる”ことはない。連日連夜、有意義な議論がかわされていました」
――今となっては懐かしい掲示板文化ですね。ソーシャルでは取りにくい「ちょうどいい距離」が保たれていた感があります。
「20代前半の私は、あの空間から多くを学びました。例えば、言葉に対するこだわり。当時から『日本人はフィジカルが弱い』と言われていましたが、“フィジカル”って何? というツッコミですね。それは肉体的なスピードやパワーなのか、コンタクトの技術なのか、前者なら『身体能力』という言葉の方が適切なのでは? 後者は後天的に鍛えられるのでは? など議論を深めていました。結局今もその問題は横たわっていて、ハリルのデュエルへの問題提起へとつながっています。いずれにしても、定義があいまいな言葉はコミュニケーションのすれ違いにつながりますし、かといって長々と前提を説明し過ぎるのもよくない。あえて“フィジカル”という簡略化した言葉を使うにしても、違和感を持つ人の存在を頭に入れておく必要があります。この前WEBで公開した『ボランチ禁止のススメ』も、議論のきっかけになればいいと思って出しました。結局、フットボリスタでも“ボランチ”は禁止していないですからね(笑)。伝わることが大切で、もう日本サッカーの中で文化として定着しているので、いまさら変える必要はないという意見もわかる。ただ、違和感を持つ人がいることを知ることも大切です」
――いい加減な形容詞には、とことん厳しい空間でしたね。
「あのネットのサロン空間で物事を突き詰めて考える習慣が身についたかもしれません。仕掛けられた議論に対してどう切り返すか、自分の言葉がどう受け取られ、どういう反応が返ってくるのか、ディベートというと大げさですが、活字によるコミュニケーションの仕方を学ばせてもらいました。会話と文字にした文章は伝わり方が違うんですよね」
――今の日本では日常的に議論する場は少ないですからね。ネット空間での深い議論は貴重な機会でした。
「単純に、参加していて楽しいものでしたよね。そのエッセンスは、フットボリスタを制作する上での礎になっています。今は様々なSNSが発達していますが、不特定多数に開かれているので建設的な議論は難しい。ある程度前提を共有していないと深い議論はできないですし、発言の一部を切り貼りされて炎上するリスクもある。そうすると、誰にも誤解されにくい当たり障りない発言しかしにくくなりますよね。“文化”を共有しているからこそ自由に議論できるラボ的な空間というか、『良い距離感を保ってお互いの見識を深め合う』ことができる場はそんなに多くないと思います。
ところで、今はSNS上に戦術クラスタってあるじゃないですか。そこで書いている人は、私がネットで書いていた15年前よりもはるかにレベルが上がっていて感心することが多いですが、周りの反応がだいぶ変わってきたなと隔世の感があります。00年代前半にネットで戦術を語るのは(某匿名掲示板などで)今以上に叩かれましたよね」
――そうですね、机上の空論扱いされる風潮は今より強かった気がします。
「『サッカーは戦術がすべてじゃない』とか1000回以上は批判されましたよ(笑)。そんなことはもちろん知っていて、サッカーにはたくさんの楽しみ方がある中で『こういう見方もありますよ』という視点の提案をしたかったんです。全員が同じ見方をしていたらツマラナイじゃないですか。ただ、仲間がいないのは孤独だと思うんですよね。自分の日常にコアなサッカーファンっています? 私の大学時代は1人でしたね。そいつと一緒に『Variety Football』を始めたんですけど。フットボリスタを通して、そういう仲間の集う場を作りたいなと考えました」
――ある程度価値観や見識がそろわないと、有意義な議論にはなりにくいですね。
「そう思います。ハードルを設けることで、荒れにくい建設的な空間を作ることができると考えました」
――なるほど。ちょっと意地悪な聞き方をしますが(笑)、フットボリスタ・ラボは月会費5,000円です。SNS上で無料で行うのでは、なぜダメだったんでしょうか。
「参加に一定のハードルを設けたかったことが1つ、もう1つは月1ペースでフットボリスタ由来のゲストを呼んで、リアルな場でのトークイベントや観戦会をやりたいと考えたからです。その出演料や会場代、運営費ですね。我われも13年やってきたので、国内外で様々なネットワークを築いてきました。特に私が編集長になってからは、レナート・バルディのようなヨーロッパの若い才能や、海外で新しい知識を吸収している日本人指導者に紙面に登場してもらっています。サロンで議論するだけでなく、そういう人たちを掛け合わせて新しいコンテンツを作りたいですし、それが少しでも現場に届いて、日本サッカーの発展に貢献したいという夢もあります」
疑似的な欧州サッカーを作りたい
――コンテンツでサッカーの現場を変えるのは壮大な挑戦ですね。
「フットボリスタは欧州サッカーをメインに扱う媒体なので最近切実に感じるのが、『日本サッカーが、特にここ2、3年で大きくヨーロッパから引き離されている』という危機感です。ここ数年の欧州サッカーの進化のスピードは桁外れです。
その内容についてはフットボリスタ本誌やWEBでたくさん報じていますので、ここで詳しくは論じません。ただ一つ衝撃的なのは、インターネットを通じて若い世代が次々と台頭していることです。例えばドイツの戦術サイト『Spielverlagerung(シュピールフェアラーゲルング)』を主宰していたレネ・マリッチは、その分析の確かさが認められレッドブル・ザルツブルクのアシスタントコーチに抜擢されました」
――結城康平さんは、たびたびマリッチを引き合いに出しておられますね。鈴木達朗さんの記事から引用します。
>「戦術ブロガー」と呼ばれていたマリッチは、マインツ時代のトゥヘルやロジャー・シュミットと共同作業をし、その活躍が認められてレッドブル・ザルツブルクユースのアシスタントコーチに抜擢された。そして、UEFAユースリーグで優勝した実績を評価され、今ではプロの舞台で活動している。
「ザルツブルクのU-19コーチとしてマルコ・ローズ監督とのコンビで優勝し、そのままのセットでトップチームに抜擢されたんですよね。さっそく1年目の今季からELベスト4まで進出しました。
他にも、トリノでミハイロビッチ監督の右腕をやっていたレナート・バルディ。彼には何度もフットボリスタに登場いただいていますが、分析や理論の体系化レベル、世界的なトレンドの把握、トレーニングメソッドなどにおいて日本とはまったくレベルの違うことをやっています。話の内容もすごく面白い。ポルトガル発祥の戦術的ピリオダイゼーションなど、グローバルに情報を取り入れている新世代の指導者だと感じます。
レネ・マリッチも大学で専攻していた心理学をサッカーの現場に取り入れていますが、サッカーの外側の知識、アカデミックな分野での知見が、欧州サッカーの急激な発展を支えているのでしょうね。ヨーロッパには、そういう優秀な20代・30代の人材を積極的に登用する文化があるんです」
――一方、日本に目を向けるとかなり厳しい状況ですね。抜擢どころか、ネットの意見をうまく吸い上げる方法論すら確立されていない印象があります。
「そうした欧州サッカーの現状と日本サッカー界とのギャップを特にここ2、3年ですごく感じるようになりました。フットボリスタでは『ポジショナルプレー』や『5レーン理論』、『ハーフスペース』などヨーロッパ発祥の新しい戦術的ボキャブラリーを紹介していますが、こういう考えが日本サッカーの現場に伝わるスピードが遅い気がします。日本社会全体が内向きになっている問題ともリンクするのかもしれません。
ここ数年のヨーロッパサッカーはものすごく進化していて、学ぶことが非常に多い。でも、そもそも興味を持っていない層が増えた気がしています。『このままだと置いていかれる』という強い危機感を感じます。
だからフットボリスタ・ラボでは“疑似的な欧州サッカーを作りたい”という目論みもあります。ネット上のサロン空間というのは、社会的立場やサッカー経験の有無も含めてすべてフラットで、“誰が言ったか”ではなく“何を言ったか”が優先される世界です。欧州サッカーは今まさにそういう世界になっていて、だからこそ若い優れた才能がどんどんピックアップされて表舞台に出ていく。そうした場を作る“実験場”にしたいですね」
みんなで一緒に楽しくやりましょう
――具体的には、どういう試みを考えておられますか?
「『ここに来れば、海外サッカーの最先端の知見を学べる』というコミュニティを作りたいです。もちろん、そこに日本の現場の人たちも入っていただき、日々ディスカッションしてほしい。
例えば、ポルト大で戦術的ピリオダイゼーションの発案者であるビトール・フラデから直接教えを受けている林舞輝さんのような、ヨーロッパサッカーの最先端で学んでいる人物同士をつないだり、アヤックスの白井さん、ドイツの中野さん、そういう海外日本人指導者たち同士が横のつながりを作ったり、日本の現場の人、まったく異なる分野の人、若い才能、フットボリスタ・ラボがいろんな人が知り合える起点になれたらいいですね」
――互いに素性を知っている同士のサロン空間であれば、ある程度の機密性も保たれます。
「読者・現場の指導者をリンクさせ、このコミュニティの中で『仲間』と言える関係性を作りたいです。個別に発信しているだけでは、やはり限界があるので」
――フットボリスタというメディアの立ち位置について、再定義を行っておられるのですね。
「実際、今のやり方のままだと雑誌は厳しいですから。我われ自身がWEBに無料で記事を出していますし、サッカーに関してはネットでかなりの量の情報を取れます。
ただ、そんな中でも本誌を買ってくださる方は、ある種『フットボリスタというブランドをサポートしたい』と応援してくださっているとも感じるんです。そういう方は、フットボリスタの仲間だと思うんですよね。ならば、そちらに先鋭化させた方がいい。あと、我われの弱点として双方向的な情報交換が弱いこともありました。そこも補完する狙いがあります」
――実際、情報はたくさん出していたものの、フットボリスタ側が受け取る量はそれほどでもなかったかもしれません。
「我われのブランドを評価してくださる方々が、ありがたいことにかなりの数いらっしゃいます。皆さんに対する恩返しの意味もあり、もっとリアルなイベントにコミットしていきたいです。
また、リターンにも明記していますが希望される方は雑誌・書籍の制作にも関与いただきたいと思っています。読者の皆さまの中には驚くほど深い知見を持つ方々も多くおられます。そうした方々と、コミュニケーションを取るだけでも気づきは大きいと思います。
実際、フットボリスタの企画も、書き手とのコミュニケーションによって生まれることがほとんどなんです。一人で悶々と考えていてもいい案は出てきませんし、私の場合は企画の起点となる発想が出てきたらいろんなライターにぶつけてみて、その反応を見て方向性を調整したり、新しい発想を得たりします。今度はそれを読者を巻き込んでやりたいなと。自分とは違う世代だったり、違う職業の人の意見って面白いじゃないですか。私の周りはもう大体ツーカーになってきてやりやすいのですが、成長のためには新たな刺激もあった方がいいだろうなと」
――浅野さん自身がかつてサッカーメディアの読者でしたしね。
「ぶっちゃけ、私は自分の新たな気づきを得るためにやるのですが、結果的に読者の皆さんにも得るものはあると思います(笑)。この前の林舞輝さんとやった『牛丼企画』もそうですが、楽しくないといい発想は出てこないので、和気あいあいとした楽しい空間にしたいですね」