酒井宏樹が語るリーグ1での充実。日本代表SB“心のフランス革命”
本当のトップは、一つの試合に負けただけで人生が狂うくらいのレベルでやっている
INTERVIEW with
HIROKI SAKAI
酒井宏樹
(マルセイユ/日本代表)
4シーズンプレーしたドイツを離れ、当初は適応を不安視された新天地マルセイユで男は2016-2017シーズン、チーム不動の、リーグ1屈指の右SBとして高評価を受けた。その成功の裏にあった心境の変化とは? 3月14日にクラブハウスで応じてくれたインタビュー。何気なく語る言葉の端々に感じられる“強さ”から、酒井宏樹が海外の地で培ってきた心の持ちよう、メンタルコントロール法を知ってほしい。
試合中と試合前後のメンタル
負けたものはしょうがない。切り替え、じゃないですかね。この職業(苦笑)
──フランスで最もプレッシャーがきついクラブとされるマルセイユ。移籍話が出た時にはハリルホジッチ代表監督にも「相当きついぞ」と言われたそうですが、実際はいかがですか? メディアからの重圧も含めて。
「どうですかね……勝っていればみんなハッピーなんでしょうから。メディアの中にもクラブに誇りを持っている人が多いので、簡単に選手をけなすような記者も少ないですし、プレッシャーのかけ方をちゃんとわかった上で報道しているところはあると思います」
──言葉は時に凶器になりますからね。
「確かに、言葉は凄い。自分も若い頃はそうでした(言葉に傷ついた)。チームが負けて、それにプラスして自分も攻撃されると(精神的に)きますよね……」
──実際にピッチ上で何が起こっていたか、周りから見ただけではわからないこともたくさんあると思います。
「でも、見えている部分で結果を出せないとプロじゃないから。見えない部分で何をやっていたかなんて、あとで何を明かしても言い訳になってしまう。だからそんなこと言っても仕方がないんです。ただ僕はその分、負けた時の切り替えは早いですよ。負けたものはしょうがない。めちゃくちゃ悔しいけれど、次に負けないように切り替えないといけないので……切り替え、じゃないですかね。この職業(苦笑)」
──家に帰っても嫌な思いを引きずったりは?
「家の中ではサッカーの話はしないです。勝った時はしてもいいかなと思いますけど、あんまりネガティブな話を人に言ったところでストレス解消にはならないので、子供と遊んでいた方が断然いいです。なので家族がいることの利点は相当大きいと感じますね」
──そこでマインドをリセットできる?
「少しずつですね。完全にリセットできるのはやっぱり、練習場だったりサッカーをやっている時なので。あとは次の試合の勝利。仮に自分が家にいる時にチームが勝ってくれたとしても、自信を取り戻すことは全然できないですから。自分がピッチに立って、いいプレーをして、取り戻していくわけで」
──これまでのキャリアで辛い体験をした思い出は?
「いや、しょっちゅうですよ~。最近だとパリ(・サンジェルマン/以下PSG)戦(2月26日)。それこそ局面で見れば、選手側からすれば『1-5のゲームじゃなかった』と言える試合でしたけど、結果はホームで大敗で。1年後に『パリと去年どうだったっけ?』と振り返った時、内容なんて覚えている人はいないでしょう。結果がすべてなんです」
──試合中における選手のメンタルも興味深いです。マルセイユにも多少その傾向がある気がしますが、中には相手にリードされると気持ちが落ちてしまう人がいますよね。
「フランスはより多いんじゃないかと。ドイツには『最後まで戦う!』という精神が凄く浸透していたので。マルセイユはエリートが多いからこそ、逆にそうなのかもしれない。『次の試合で切り替えよう』と考える選手が多いというか。でも監督が代わってからは(注)、かなり厳しさが増したのでなくなりましたけどね」
(注)2016年10月20日、その3日前に発足した新経営陣の下、フランク・パシに代わってルディ・ガルシアが就任。リールやローマなどを率いてきた53歳のフランス人。
──試合中、チーム内で気持ちが落ちてきた時に頼りになるのは、やはりリーダーの存在だったり?
「あの観客の声援の中では声もあまり聞こえないので、実際はすぐ近くの選手同士で話し合うしかなかったりします。僕の場合も、まず周りの選手としゃべっていますね。絶対に勝てないと思うような展開になっても、『惰性でやるんじゃもったいない。俺らだけでも最後まで闘おう!』って声をかけています」
──ミスがあった時なども声をかけ合って?
「僕は基本的に、相手にネガティブなことは言わないようにしています。自分が言われると嫌なので。逆にいいプレーがあった時には常に言うようにしている。英語なのでちゃんと伝わっているかはわからないですけど。でも、フランス語の方が簡単な時もあるんですよ。『アレー!(Allez=行け)』とか『ビヤンジュエ!(bien joué=ナイスプレー)』とか。『ウェルダーン(well done)』と言われたりもしますけど、『ビヤンジュエ』の方が言いやすいじゃないですか(笑)」
──理不尽なジャッジを受けた時などは、メンタルのコントロールが難しくないですか?
「それは、しょうがないですね。今は転ぶ率(わざと転んでファウルを誘う)が相当高いから。みんなめちゃくちゃうまいですよね、転ぶのが。あれで勝敗が決することもあるので、DFは本当に頑張らなければならない。頑張るって何を? という話ですが、DFがそうした状況を招いてしまっていることは時にあると思います。『今のはPKじゃない』と言われるシーンだって、こっちがワンテンポ前に準備していれば普通にクリアできていたわけで、相手が転ぶようなシチュエーションを作らずに済んでいたという。正直、DFからしたら“ダイブ”は凄く嫌ですけどね。セコい! イエローじゃなくて一発レッドにしてほしいです!(笑)」
──試合中、悔しさを引きずってしまうことは?
「90分ってあっという間に過ぎてしまうので、考えるのは終わってからですね。あとでジワっと。で、悪い場面しか頭に残っていない。なので試合終了後になるべく大きな後悔をしないよう、1回ミスをした時は他で良いプレーをして挽回するしかないです」
ドイツからフランスへの順応
ここ2、3年が次の4、5年へと続いていく。感謝しながら、めちゃくちゃ頑張ろうと
──「勝者のメンタリティ」という言葉がありますが、酒井選手はどういうものだと捉えていますか?
「僕は勝ち続けたキャリアを歩んできていないので、それがあるわけじゃない。勝者のメンタリティというものを手に入れるには、とにかく経験だと感じています。どれだけ辛い部分を経験しているか、どれだけ良い部分を経験しているか。そのギャップが自分の許容範囲に繋がると思うので」
──試合でも、その経験がある選手がいるチームは強い?
「ええ。負けていても勝っていても、0-0で残り1分で攻め込んでいたりする場面でも、ブレることなく冷静でいられる選手が多いチームの方が勝てる確率は絶対に高いと思います。例えば最近なら、PSG戦のバルセロナ。最後の2分くらいは凄かった。猛烈なプレッシャーを受けているのに、GKも参加して何とか点をもぎ取ってやろうと一心不乱に闘う姿が」
──プレーの面で、日本と比べてメンタルの違いに驚いたことは? ヨーロッパではファウルを戦術の一部として使うようなシーンもよく見かけますが。
「こっちに来て凄いと思ったのは、そういうワンプレーが勝負を分けてしまうことです。でも基準がよくわからない。転んで1点取って称賛される選手もいれば、そうじゃないと訴えてフェアプレーで称賛される選手もいるので」
──ワールドカップでルイス・スアレスが敵のゴールを手で止めて、勝ち抜いたこともありましたね。
「手でも止めたい、決めたいと思うのは当然だと。相手にケガをさせるのは論外ですが、自分が退場してしまうというリスクを冒すことも含めて、チームが勝つのがすべて、と思うのがチームプレーなんだと。周囲は批判するかもしれないけれど、手で決めたところでチームの中からは絶対に批判は出ないはずです。それくらい、極限のレベルでやっていることだから。それを批判するとか、良くないと考えている時点で、自分はまだ足りていない、と思っていました。『話に加われるだけのレベルに達していないんだな』と」
──どういうことですか?
「日本からヨーロッパに来た時、それ(ファウルをしてでも勝とうとすること)に驚いた。ある意味で“汚い”プレーを以前にあまり体験していなかったので、『なんで?』と思ったんですよ。でもすぐに、それを『なんで?』と思った時点で、自分は全然足りていないんだ……論外だな、と痛感しました。本当のトップは、一つの試合に負けただけで自分の人生が狂うくらいのレベルでやっているわけですから。だから何をしてでも勝ちたいと思うんだって」
──ホームとアウェイで試合に向かう時のメンタルの持ち方も、欧州と日本では異なると聞きます。
「ドイツでもアウェイで受ける圧迫感は凄かった。ホームサポーターの迫力が凄まじいので、敵地に行くとチーム全体として士気が下がってしまうのはわかります」
──ドイツは観客数も相当ですから、スタジアムにおける対プレッシャーという点は鍛えられたのでは?
「鍛えられたというより、観客の声をあまり感じなくなったというのか。ホームの場合でもチームが良い時の応援は耳に入りますが、基本的に僕は気にしないんです」
──フランスに来た当初、「メンタルを変えていかないと」と話されていましたが、具体的には?
「すべてですね。サッカーでも生活面でもすべて。マルセイユは、今はビッグチームじゃないのはわかっているけれど、再びその地位に戻ろうとして戦っています。有名なクラブであるのは間違いないので、世界中のチームが見てくれている。だから自分にとってはチャンスで、ここで大きな成果を挙げることが今後のサッカー人生に繋がっていく。ここ2、3年の出来が、その次の4、5年へと続いていく。この2、3年はめちゃくちゃ頑張ろうと思っています。この場所を与えてもらえたことに感謝しながら。あとは自分ですからね。自分のことを自分がやるだけなので」
──新しい環境に馴染むまでは、精神的な負担も大きかったのでは?
「そうですね。最近またちょっと疲れてきていますけど、(3月の)代表戦に行くことで違った刺激をもらえるので。ここに来るまでは、いろいろな人に助けてもらいました。家族も日本に一度も帰らずサポートしてくれましたし。僕が(一所懸命)やっているのを見て、ずっとそばで応援してくれるんだと思います。フランスではサッカーにすべてを注ぐ生活をしていて、その環境については今のところ何の不満もないです。自分自身にはありますけど! まだまだやらなきゃいけないことがいっぱいある! でもチームや生活環境、人の温かさ、そういう点には本当に満足しています」
──フランスへの順応という点で、ドイツでの経験がプラスになっていると思いますか?
「それはあります。やっぱり1年目はびっくりしたことが多かったので。環境が、とにかく全部が違うから、少しのズレがストレスを生んでしまうんですよね。最初の頃は、日曜に店が閉まっていることだけでも相当のストレスで。でも今は、なるべくそういうストレスに関わらないようになりました」
──生活の利便性で言えば、ドイツよりもフランスはもっと大変だと感じるのでは?
「日本からダイレクトで来ていたらきつかったかも。でも聞いてたんで、ラテンだし、『フランスやばいよ』って(笑)。けれど実際は全然、困らなかった。借りている家のオーナーが良い方で、いろいろ助けていただいているので。いや、本当に人には恵まれています。オーナーの奥さんが子供の幼稚園の手続きを手伝ってくれたり、僕の奥さんと一緒に買い物に行ってくれたり、家族ぐるみでご飯を食べたりもしているので」
──言葉の面はどうですか?
「クラブでは一緒の時期に加入したフボチャン(スロバキア人)と同じ先生にフランス語を教わっています。でも、その週1、2回のレッスンは先生にチェックしてもらう場といった感じ。自分でやることが一番大事ですね」
──自主学習を?
「車の中では必ずフランス語のCDを聞くようにしています。よく教材とかに付いているヤツ。あとは、監督が話していることをとにかく聞くのも勉強です。監督はしゃべるのが早いですからね(苦笑)」
──英語ができるのは大きいと思いますが、どこで?
「ドイツでドイツ語のレッスンを受けている時に聞けるようになりました。でも言葉のレパートリーが少ないんですよ。言い回しやパターンはすらすら出てくるのですが、ボキャブラリーが全然ないので、今それを優先して英語とフランス語を家で勉強しています。ついこの前も記者の方に『improve(進歩)』を教えてもらって、よく使う単語だから覚えとかないと!って。そうやって自分が使いたい単語をストックして『次これ使おう!』というふうにしています」
マルセイユ、居心地の良い職場
「ボス」は?…絶対に信頼できる監督。ルーティン?…やらないとバチがあたる
──酒井選手にとってマルセイユはいわば「職場」。居心地を良くするために工夫していることはありますか?
「一番はピッチ上のことですが、ピッチ外では嫌なヤツだな、と思われないようにはしています。かといって、ここで親友を作ろうとしているわけではなく、みんなと仲が良いと言える関係があれば自分の場合はベストであって、今ちょうどそんな感じなので凄く居心地がいいです。僕、ここ(トレーニング場)でやりたいことがいっぱいあるんですよ。ジムで体を動かして、サウナにゆっくり入って、その後で水風呂に行って、とか。いつもひと通り全部やって家に帰る。それを自分のペースでやりたいんです。でも仲の良い人がい過ぎてしまうと、難しくなる。で、家に帰ったらサッカーのことはまったくしたくない。考えもしないので、トレーニング施設ですべて終わらせてしまう感じですね。だから練習後すぐ帰ることもないのですが、なるべく全部を済ませて、家では普通の人になる、という」
──そうやって公私をはっきり分けているところも、メンタルの安定に繋がっている?
「そうでないとちょっとやっていけないですね。家でもサッカーのことを考えていたらパンクしちゃいそうで……」
──酒井選手にとって「ボス」にあたるガルシア監督はどういう人物ですか?
「規律を整えるのが凄くうまいと思います。全員をプロとして見ているし、練習中からピッチ上でのトラブルは一切ない。僕は今、試合に出ているからそれがないけど、出ていない人はもちろんストレスが溜まると思います。でもそういう選手にもちゃんとケアが行き届いているので、比較的みんながストレスなくプレーできる環境になっているのかなと。出ていない人の立場になってみないとわからない部分もありますが、僕も他のクラブではそれを経験してきたので。とにかく、絶対に信頼できる監督だと思う。僕もJ2にいた時代がそうだったんです。センターバックでまったく試合に出ていなかったけど、監督を信じて言われることは全部、素直に聞いてサッカーに集中できていました」
──監督は選手のメンタルもケアしてくれるタイプ?
「佑都くん(長友/インテル)とも『今の監督どうですか?』という話をしたことがあるんですが、『本当に良い監督だよ』と言っていて。スタメンではない状況があった時でも監督(当時インテルを率いていたステファノ・ピオーリ)を信じてプレーできているということは、素晴らしい監督なんだろうなって。もちろん佑都くんの人柄もあって、自分のためだけにやっているか、チームのためを思ってやっているか、そういう心の持ち方でも違ってくるのですが」
──酒井選手について話している時のガルシア監督には、いつも愛情を感じます。
「それがメディアが2人の仲を悪くしようとしてますからね~(照笑)。監督が会見で僕のことを、フランス語ができない、と(冗談で『ヒロキのフランス語はまったくダメだ!』と)言ったじゃないですか。そしたら今度は僕に『監督は日本語ができるようになると思うか?』と質問がきたので、『6カ月じゃ難しいと思いますけど……』と答えたら、“サカイが反撃!”みたいに報じられて(苦笑)。なるべく早くフランス語は覚えたいですけどね。でも実際に大事なのはピッチ上で何ができるかなので、そこは忘れずに」
──監督は「自分が求めていることを、彼はすべて理解して応えてくれている」と言っていました。
「そうですね。そこは全力でやらないと、選手として終わってしまいますから」
──試合前にお祈りをするのは、ルーティンですか?
「ええ。サッカー選手は運が半分くらい作用しているので。海外に来てからですね、自分なりのルーティンとして始めたのは。今日やることや、明日後悔しないように、といったことをお祈りする。ルーティンはかなり気にする方で、やらないとバチがあたるとさえ思っていて。自分にとって試合というのは本当に大事なもので、1試合が人生を左右するので、そういう(ルーティンを守る)ことは心がけていますね」
──海外生活も4年半になりますが、これまでを振り返って大変だった思い出は?
「あります、あります! でもきついことは、自分の中から消えます。そういうふうにしているので。嫌な思いをしたことはたくさんあります。でも、いざ何が嫌だったか?と聞かれると出てこない。だから自分の中でうまい具合に流せているんだと思います」
──最後に、日本の読者にメッセージをお願いします。
「リーグ1は特に若手がめちゃくちゃ凄い! モナコの18歳ムバッペをはじめ、注目してもらいたい選手がたくさんいます。そして僕の所属するマルセイユは、まずPSGと同じくらい日本でも有名なクラブを目指して、もっともっと応援してもらえる環境を作れるよう自分が頑張っていきたいと思っています。リーグ1自体が本当に今、変化の過程で上向きなので、それに便乗して僕も成長したい。フランス、ドイツ、スペイン……すべての国のサッカーが違うので、どこが凄いとランク付けするというよりフラットに見ていただきたいですね。これからも応援よろしくお願いします」
■プロフィール
Hiroki SAKAI
酒井宏樹
(マルセイユ/日本代表)
1990.4.12(27歳)183cm / 70kg DF JAPAN
長野県中野市生まれ、千葉県柏市育ち。地元のクラブチームを経て03年、中学入学と同時に柏レイソルU-15に加入する。10年に当時J2のトップチームで初出場を果たすと、J1に復帰した11年には定位置を確保し、Jリーグ史上初となる昇格初年度の優勝に貢献。自身もベストイレブン&ベストヤングプレーヤー賞に輝く。その活躍により海外の複数クラブからオファーが届く中、12年シーズン途中の7月にハノーファーと契約。4強進出に尽力したロンドン五輪後の1年目は適応に苦しんだが、翌13-14にはレギュラーに定着し、4季で102試合2得点を記録。チームが2部に降格した昨季終了後、マルセイユに活躍の場を移した。12年5月にデビューした日本代表では通算36キャップ。
PLAYING CAREER
2009-12 Kashiwa Reysol
2012-16 Hannover (GER)
2016- Marseille (FRA)
Photos: Yukiko Ogawa, Getty Images
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。