モウリーニョは一人で暴走したのではない
『モウリーニョ VS レアル・マドリー「三年戦争」』著者インタビュー:後編
モウリーニョのレアル・マドリー監督時代の内幕を選手らの証言で明かし、スペインで大きな議論を呼んだ問題作『モウリーニョ VS レアル・マドリー「三年戦争」』が日本上陸。筆者は高級紙『エル・パイス』のRマドリー担当として、モウリーニョ時代に数々のスクープをものにしたディエゴ・トーレス。
メディアに対するクラブの影響力が強いスペインで、報道の自由を守る『エル・パイス』に所属する彼だからこそ書けた貴重な証言集。その発売を記念して、日本語版の訳者である『footballista』編集長の木村浩嗣が、ディエゴ・トーレス本人へのインタビューを敢行。筆者の口から語られた誕生秘話を3回に分けてお届けします。
後編では、最新号に掲載されたよりぬきインタビューを公開。誰も知らなかったモウリーニョの「影」や、レアル・マドリーとメディアの特殊な関係について語ってくれています。
――この本に対する反響はスペインでは二分しています。モウリーニョのファンは拒絶し、反モウリーニョ派は絶賛。その二極化についてどう思いますか?
「当然だと思う。というのも、モウリーニョ自身が人々を二極化し対立させる存在だからだ。レアル・マドリーのファンの間でも対立があり、アトレティコ・マドリーやバルセロナのファンからは徹底的に嫌われた。読者の反応は、そういう彼のキャラクターに沿ったものだ」
――過去になぜ類書が出なかったのでしょう?
「ポルトガルでは国民的なヒーローで批判者はほとんどいない。イングランドではチェルシーでやはりリーダーとされた。イタリアでは彼のやり方やプレースタイルが絶賛されていたからね。しかしスペインでは、チーム内にすら異議を唱える者たちがいた。しかもRマドリーでのモウリーニョはイングランドやイタリアでの彼とは違っていた。彼は変わった」
――その変化が、彼がRマドリーで失敗した理由ですか?
「その一つだ。失敗した理由は、Rマドリーの方がモウリーニョよりも重要度が高かったこと、異なったプレースタイルのために用意されたチームをキャリアで初めて率いたこと、カルチャーの違う選手たちだったことなどいろいろある。カルチャーの違いとは、これまでの選手たちが自らを“兵士”と見なす者が多数派だったのに対して、Rマドリーでは“芸術家”と見る者の方が多数派だったという点。ここ30年間で最高のチームであるグアルディオラのバルセロナと競い合ったことも理由の一つだ」
――この本を日本語に訳そうと思った時、“アンチ・モウリーニョのジャーナリストによって書かれたアンチ・モウリーニョ本”というレッテルを貼られるのではないか、と懸念しました。だからこそ、こうしてあなたに会って話を聞いてみたいと思ったのです。
「アンチ・モウリーニョとは私は思っていないよ。アンチ・モウリーニョの本を書こうと思ったわけでもない。モウリーニョについて自分が知り得たことを書こうと思った。その内容が愉快なものだけでなかったのは確かだ。例えば、インテルでCL優勝を成し遂げた後、モウリーニョは自分のメソッドは絶対に間違いなく一つのミスもなく適用できると思い、代理人のジョルジュ・メンデスと手を組んで彼の代理する選手を獲得することも許される、と考えていたことを知った。これほど大っぴらに開け広げにモウリーニョがメンデスの影響力を見せつけたのは、Rマドリー監督時代が初めてだ。配下の選手をあれほどアグレッシブに取り扱ったことも他のクラブではない」
――それが先ほど話に出て来た、モウリーニョの変化の中身ですね。
「そうだ。その変化のせいで、支配力の弱体化という形で彼はしっぺ返しを食らうことになる」
―― 一般紙を含めスペインナンバー1の発行部数を誇る『マルカ』紙は、モウリーニョの“友人”であるようにも“敵”であるようにも見えました。モウリーニョ時代、彼らはどんな役割を果たしたと思いますか?
「『マルカ』の前編集長(2007年~2011年)はフロレンティーノ・ペレス会長、モウリーニョと関係が深い人物だった。現編集長(2011年~)就任後はRマドリーとモウリーニョに対してほんの少し批判的な立場に立つようになった。スペインメディア一般は彼らに寛大で、ジャーナリストたちはまるでモウリーニョが起こした火事の火消し役のようだった」
――スペインのサッカーメディアについて意見を聞かせてください。ここではあるスポーツ紙がマドリディスタ(Rマドリーファン)で、あるスポーツ紙がクレ(バルセロナファン)だという色分けがはっきりしています。こういう現象は日本ではあまり馴染みがないのですが、どう思いますか?
「世界でもほとんど例を見ない現象だよ。しかもここ数年で各紙は特定のクラブ色をより明確に出すようになってきた。この現象は新聞と記者の信頼度を下げ、メディア界に大きな打撃を与えたと思う」
――私の住むセビージャではダービーマッチの時に一方のチームカラーを身に着けて報道する者さえいます。
「それはジャーナリストにとっては『悪』の一言だね。なぜなら彼らはサッカーの報道をする代わりに、サッカークラブの報道をするようになるだろうからだ。ジャーナリストは読者の期待に応えるべきなのに、クラブを守り、クラブと共犯関係で結ばれるようになり、クラブのプロパガンダをするようになる。クラブの情報を流すだけのジャーナリストは、クラブに飼われた自由のないジャーナリストだ。我われはクラブではなく、読者に誠実であるべきなのだ。スペインではサッカークラブは強大な権力を誇っている。彼らは銀行、役所や税務署など公的機関、政府から優遇される特権を得ている。その上でジャーナリストを配下に置こうなんてとんでもないことだ。ジャーナリストの使命はクラブに仕えることではない。クラブからは一銭も受け取っていないのだから。もし払ってくれたら仕えるだろう。だけど、その時は『クラブ広報』と呼ばれることになる。セビージャが雇用主でない限り、私にセビージャの利益を守るための報道をする義務はない」
――本の最後の章には、モウリーニョが去っても「物語は続く」という意味のことも書かれていますね。
「放出要員のほとんどはフロレンティーノ会長自身がクビを切った。モウリーニョは一人で暴走したのではない。後ろにはモウリーニョに多大な権限を与えたフロレンティーノが常にいた。2人の意見は、権力に従わない選手は切る、で一致していた。モウリーニョは去ったが、フロレンティーノはこのアイディアを捨てていない。だからエジルらは放出され、カシージャスは控えのままだ。本当はモウリーニョに選手の入れ替えをやらせたかったが、自らの手を汚すことになってしまった」
――クラブの情報管理が強化される時代だからこそ内部情報や証言が貴重になり、それらなくしてはこの本は成立しなかったわけですが、どうやってRマドリー内部にあれほど多くの情報源を得たのですか?
「理由は3つある。1つはRマドリーを取材して16年目に入ったキャリア、2つ目は幸運、3つ目は条件が整っていたからだ。条件というのは、Rマドリーが危機的状況にあったことを指す。Rマドリーは情報管理が行き届いた密閉度の高いクラブだが、危機的状況にある組織というのは必ず情報漏れを起こすものなのだ。危機は内部分裂を引き起こし、その亀裂から情報が外へ漏れてくる。その漏れた情報のコントロールも戦いの一部なのだ。Rマドリーには私に話をしたい者たちがいた。なぜなら彼らはモウリーニョと対立していたからだ。当時はモウリーニョ自身が組織であり『モウリーニョ=Rマドリー』だったから、彼らの声は匿名の証言という形を採らざるを得なかった」
――でも、なぜあなたへ、だったのですか? 他にもジャーナリストは大勢いたでしょうに。
「運が味方したのと、私が独立系のジャーナリズムに所属していたからだ。スペインではサッカーメディアはクラブにコントロールされている。その管理下から逃れようとするメディアはほとんどないが、私の属する『エル・パイス』紙はその少ない例外の一つだ。スポーツ紙ではなく一般紙で、クラブと距離を保ってもやっていけるだけの大きな力があり、彼らとは何の利害関係もない。自由に独立して動ける立場だったことが、情報提供者に信頼されたのだと思う」
――執筆の動機としてモウリーニョのロッカールーム内の言動を伝えたい、という思いはありましたか?
「いや、その点はあまり予断を与えたくない。読後にそれぞれが自分なりの結論を探してほしい。モウリーニョのネガティブなイメージを伝えるためにこの本を書いたのではない。彼は偉大な監督だが、ほとんど知られていない影の部分を持っている。ステージの後ろで何が起こっているのか、に私は興味があった」
――「影の部分」がどんなものかは、ある程度想像がついていたのですか?
「想像はしていたが、彼が行き着く先は見えていなかった。現実をコントロールしたいというモウリーニョの強迫観念があそこまで強いとは、クラブ内で政治力を手に入れるためにあそこまで手を尽くすとは、プロパガンダにあそこまで熱中するとは、あそこまで代理人の利益を守ろうとするとは思わなかった。自分の利益のためにチームを犠牲にするところまで達しようとは予想外だった。これらはまったく知られていなかったことだと思う。危機的な状況の中でモウリーニョが個人として“勝利”するために、チームが試合に負けた方が良いと考えるとは……」
――スペイン語版の書名『負ける準備をしておけ』は、この時のモウリーニョの言葉を引いているわけですが、選手たちの証言を聞いてあなた自身も驚いたのでは?
「凄く驚いた。人間のエゴとはここまで大きくなるものなのか。モウリーニョが自分はRマドリーよりも偉大だと考えていたことは明らかだ。自分がクラブよりも上だと思っている監督は彼だけではない。シュスターやカペッロもそうだった。だがモウリーニョの域に達した者はいない。モウリーニョには躊躇(ちゅうちょ)がなかった。彼の野心には限界がなかった」
――日本の読者にはどういうふうにこの本を読んでほしいですか?
「まずは楽しんでほしいね。と同時に、世界的なこのサッカークラブの内部がどう動いているのか、その仕組みを学んでもらえたらうれしい。この本には誰にも知られていなかったことを書いた。これは一つの記録だ。みなさんには事実を知ってほしい。モウリーニョ側からの事実だけではなく、発言を禁じられている者たちの側からの事実を」
――とすると、モウリーニョ側の事実と選手側の事実と2つあることになりますね。
「ただ、真実は1つだと思う。読者のみなさんがすべての情報を手に入れた後に至る結論、それが真実だ。私の拾った証言の方がその真実により迫っていると確信している。モウリーニョは異議を唱えるだろうが」
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Photo: MutsuKAWAMORI/MutsuFOTOGRAFIA
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。