モウリーニョは権力を代表し支持される存在
『モウリーニョ VS レアル・マドリー「三年戦争」』著者インタビュー:中編
モウリーニョのレアル・マドリー監督時代の内幕を選手らの証言で明かし、スペインで大きな議論を呼んだ問題作『モウリーニョ VS レアル・マドリー「三年戦争」』が日本上陸。筆者は高級紙『エル・パイス』のRマドリー担当として、モウリーニョ時代に数々のスクープをものにしたディエゴ・トーレス。
メディアに対するクラブの影響力が強いスペインで、報道の自由を守る『エル・パイス』に所属する彼だからこそ書けた貴重な証言集。その発売を記念して、日本語版の訳者である『footballista』編集長の木村浩嗣が、ディエゴ・トーレス本人へのインタビューを敢行。筆者の口から語られた誕生秘話を3回に分けてお届けします。前編と中編は、WEBだけの限定公開!
中編では、本書に対してモウリーニョ側のリアクションがない理由、そしてあの「目潰し事件」について、筆者ならではの見解を聞かせてくれています。
――あなたはモウリーニョにインタビューを申し込んだそうですね。
「毎シーズン4回ほどね。彼に直接メールを送ったこともあるし、クラブの広報に申し込んだこともある。しかし返事が返って来たことは一度もない」
――彼のインタビューが載せられればこの本の完成度は高まったと思いますか?
「おそらくね。だがそれは不可能だった。彼の世界観、仕事観からいって私にインタビューをさせることは決してない。クラブの支配から独立したジャーナリストと関係を結びたいとは思わないだろう。彼がインタビューを与えるのはコントロールできると考えた相手だけではないか」
――もしインタビューの機会が与えられたら、一番してみたい質問は?
「たくさんあるが、代理人のジョルジュ・メンデスとなぜあれほど密接な関係を保ちつつ働くのか、と聞いてみたい。彼が代理している選手とそうではない選手で扱いを変えれば内紛に繋がりチームを阻害するのは明らかなのに。メンデスとの関係は本当に代理関係だけなのか、それとも何らかの経済的な利害関係が別にあるのか? 選手への投資会社への共同出資者や株主となっていないか? 選手を獲得したり推薦したりすることで、メンデスや他の代理人から手数料を受け取ったことはないのか? などなど。だけど返事はないだろうし、だからこそインタビューを受けないのだろう」
――モウリーニョの証言抜きでこの本を出版することに迷いはなかったのですか?
「なかった。絶対に不可欠だとは考えなかった。なぜならモウリーニョの証言は記者会見でなされていたからだ。彼の会見は綿密に計算されたものだ。メッセージは漏れなく会見で発信されていた。3年間にわたって週4回、コンスタントにね。彼の会見を集めただけで4冊くらいは本が書ける」
――実際そういう証言集も出版されています。
「モウリーニョが出してもらいたかったのは自分の証言集であり、それらはすでに世に出ていた。出ていなかったのは、彼によって言葉を発することを禁じられていた側の証言集だ」
――出版後にレアル・マドリーやモウリーニョ、メンデス側から何か反応はありましたか?
「まったくない。モウリーニョは自分のリアクションが強力なPRになることを知っている。たとえネガティブな言及であっても。もし彼がこの本のことを口にすれば、あっという間に有名になるからね」
――Rマドリーの練習や試合を取材するのに支障は出ていませんか? 出入り禁止などの処分は?
「ない。まるで本を書かなかったかのように」
――サンティアゴ・ベルナベウ(Rマドリーのスタジアム)の近くに住んでいるのですよね。あなたはRマドリーファンですか?
「そうだよ。この本を書いたことで多くの人からクレ(バルセロナファン)だと思われているが、私はマドリディスタ(Rマドリーファン)だ。86年にマドリッドに来てずっとベルナベウの近くに住んでいる。Rマドリーは私のご近所のチームというわけだ」
――サッカー選手だった経験はあるのですか?
「いや、アマとして趣味でプレーしただけだ」
――モウリーニョに指導を受けてみたかったと思いますか?
「思わない。その理由はこの本に書いてある」
――スペインでは各紙が特定のクラブ色をより明確に出す一方、我われジャーナリストはクラブから取材を制限されることが増えてきました。最近では選手に近づくどころか、練習を見せてさえもらえないことがあります。
「それはスペインだけでなく欧州各国で民主主義的なものの価値が下がっていることと無関係ではないと思う。産業が優先され、人々は蚊帳の外に置かれる傾向が強くなっている。例えばRマドリーとバルセロナはソシオ(クラブ会員)が運営するクラブであり、ソシオたちはクラブ内部で何が起こっているか知る権利を持っている。Rマドリーでは6、7年前までソシオはいつでも好きな時に練習を見学することができた。それが今では禁止されている。バルセロナも同じだ。そうして経営陣にとって都合の良い情報だけを流している。選手やチームを世論やメディア、ソシオの目から遠ざける方が、より大きな権力を得られることに経営者たちは気がついたのだ。ここ数年、メディア産業の衰退とともに取材制限が増えている。経済危機で新聞社は弱体化したけれども、クラブは税金を払わないという方法、政府による“組織的な汚職”とも言える方法で権力を維持できた」
――モウリーニョのRマドリー時代、メディア一般は彼やフロレンティーノ・ペレス会長の代弁者となっていたのでしょうか?
「そういうことも多かった。モウリーニョとフロレンティーノは彼らの公式見解を流し続けるために、主要な新聞、テレビ、ラジオと密接な関係を築いていた。それはRマドリーの力に対するジャーナリストたちの無力さを表していた。しかし、『マルカ』や他のメディアの中にも社の編集方針に従わず自分の意見を述べ続ける、独立したジャーナリストたちがいたことも確かだ。『マルカ』は伝統的にRマドリー寄りではあるが、その中でも批判を続ける者がいたという多様性は評価すべきだ。ただその一方で今でも“フロレンティーノ寄り”と呼ばれる、クラブが流してほしい情報を代弁するテレビ番組が少なくとも3つある。それらの番組の視聴率は高くないが、少なくともRマドリーファン内での世論を左右する力を持っている」
――モウリーニョのRマドリーでの3年間で最も驚かされたことは?
「ティト・ビラノバへの目潰し事件だ(注:2011年8月17日、スペインスーパーカップ第2レグで両チームによる小競り合いが起きる中、当時のバルセロナ助監督の目に指を入れた)。この目で見ていることが信じられなかった。世界中が注視する中であんなことをやろうとは。カメラを意識し笑顔まで見せているから、計算された行動だと思う。ただ、あの時の彼は自分を過信していたせいか現実感を失っていた節がある。善悪の区別がつかなくなっていたのではないか。大きな反響を狙い、その計算は的中したが、反響に比べると制裁(2試合のベンチ入り禁止)は軽かった。モウリーニョは反逆者ではない、とすでに述べたが、彼はサッカー界の権力に歯向かっていたのではなく、それらを代表し支持される存在だったのではないか、と思う。サッカーという産業はより関心とお金を集めるために、彼のような人物を必要としている」
――モウリーニョの復帰したチェルシーが今季プレミアリーグで首位に立っていることは驚きですか?
「いいや。なぜならチェルシーは今プレミアリーグで最高のチームだからだ。最高のGK、最高のDFライン、最高クラスのMF陣とアタッカーを擁している。イングランドのチームで最後に欧州カップ戦に勝ったのは、昨季ELでのチェルシーだ。普通、最強チームは首位にいるものだし、何らかのタイトルを獲得するものだ」
――ブラジルW杯には行くのですか?
「行くよ。アルゼンチンとウルグアイとチリの情報をカバーするつもりだ。『エル・パイス』は中南米に多くの読者がいるからね」
――モウリーニョ不在の記者会見の取材は物足りなくないですか?
「いや、十分楽しんでいるよ」
――モウリーニョがスペインに帰って来たら、また本を書きますか?
「新しい情報があればね。プレミアリーグにいるモウリーニョを追いかけようとは思わない。私はイングランドという国を知らないからね。本を書くためには誰も知らない情報を握っている必要がある。既知のことを書いても意味がない」
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Photo: MutsuKAWAMORI/MutsuFOTOGRAFIA
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。